かつての55年体制のころ、日本の政治を動かしていたものは、労働組合と経営者団体だった。労働者と資本家の直接的な関係だった、といってもいい。経済的利害が根本的に対立する、つまり、階級の間の鋭い対立だった。両者の緊張関係の中で、それぞれの利益を代弁する政治家が、国会を通じて日本を動かしてきた。
だが、その後、労働組合は弱体化した。その結果、両者の緊張関係は弛緩し、ここから政治の停滞が始まった。そして、いまでも続いている。こうした状況を打破するものが、今度のような集会だろう。
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新しい潮流の特徴は、参加者の自発性にある。そこには参加者の一人一人に強靭な意志がある。これまでのように、労働組合などの大きな組織が、中央集権的に決めた「動員」によって、集まったものではない。
そうではなくて、小規模な集団による徹底的な議論、という草の根の、民主主義の原点に根ざした、あるいは、個人の深い熟慮の結果としての参加である。つまり、古い潮流のなかで考えれば、小規模分散型の、組織ともいえないような組織である。また、階級は隠れていて不透明になっている。
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だが、集会が対峙する相手は、政治という、また、権力という暴力装置を備えた、最も中央集権的で、最も官僚的な、したがって組織的な組織である。
最も非組織的な組織と、最も組織的な組織が対峙しあっているのである。それが世界の政治の潮流で、日本もこの新しい潮流に入ろうとしている。
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ちょうど、この集会が行われた翌日、首相はアメリカへ行き、国連の会合に出席した。そこで、世界中から注目された演説の内容は、「日本は、原子力発電の安全性を世界最高水準に高めます」というものだった。安全性を高めて、今後も原発を推進する、というのである。
この考えは、こんどの集会の呼びかけ文にある「原子力と人間の共生など、けっしてありえない」とする考えと敵対するものである。
両者の確執は、今後、どのように展開するのだろうか。集会では、「さようなら原発」1000万人署名運動を続けるとした。それでも首相は国連演説の考え、つまり、国民の生命を軽視し、財界にすり寄った、原発推進の考えを持ち続けるのだろうか。
こうしている間にも、被災地の人たちの、いつ終わるとも知れぬ避難生活が続いている。
(注 集会の様子はコチラから)
(前回 風評被害で農業に地殻変動のおそれ)
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