久しぶりに郷里の友人に会ってきた。中学校の同級生で米作りをしている男である。
80歳が近づいたので、そろそろ農業を止めようか、といっている。健康をそこねたわけではない。今まで通りの農業が続けられれば続けたい。だが村の状況が変わろうとしているのだという。
彼の村には、行政が主導して、会社組織にした農業を始める計画がある。そうなると以前からの協同組織はなくなってしまう。個別の農家では農業がしにくくなる。大型機械を使う作業ができなくなるからである。
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だから、2haほどの水田を出資して、新しく作る会社に入れ、と行政がいう。だが、隣の村で数年前に作った、同じような会社が、多額の借金を残して解散した。それを考えると、高齢でもあるし、リスクは負いたくないという。
だから、今後は20〜30aの水田で自家用の米を作るだけで、残りの水田は耕作を放棄するしかないという。多くの高齢農業者も、同じように農業からの引退を迫られている。
これでは、その分だけ日本の食糧自給率が下がる。食糧自給率の向上は、農政の大目的ではなかったか。この目的に反することを、政府の現地機関である行政が主導している。効率化のためだという。
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2年前に政権交替したときの、民主党の目玉政策は戸別所得補償制度だった。それは、食糧自給率の向上を農政の柱に据え、それに貢献する全ての農業者、つまり、経営規模の大小を問わず、また、年齢を問わず、すべての農業者を制度の対象にして、生産費を補償する、という政策だった。この政策が、これまで民主党に対する支持が弱かった農村部で強力な支持を得て、政権交替の原動力になった。
この政策は、食糧自給率の重視というほかに、弱者の側に立った民主党らしい政策だ、という評価もあった。
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しかし、いま、国会のねじれのもとで、自民党などの野党は攻勢の焦点をこの制度に当て、ばらまきだ、として激しい批判を集中している。非効率な小規模農家を温存するものだ、として批判している。野党の主張は、効率的な大規模農家を選別して、そこに政策を集中せよ、というものである。そして民主党は、この主張に屈しよとしている。
先週、新聞で報じられたが、農水省は農地集積協力金の予算を要求するという。これは、高齢農家や小規模農家が農地を貸すばあい、政府が奨励金を出す制度で、そうした農家に農業を止めるように迫る、まさに選別政策である。
郷里の友人は、こうした政策の流れに翻弄されているのである。
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もしも、民主党が野党の要求に屈して、こうした選別政策を全面的に取り入れるなら、2年前までの、自民党などの農政と変わらなくなる。いったい、2年前の政権交替は何だったのか。
われわれが民主党に期待するのは、政権維持のための政争の中で、安易に基本政策を変更することではない。民主党は、権力の魔性に取り付かれてしまったのだろうか。あと2年もの間、こうした政争が続くとすれば、多くの国民はうんざりするしかない。
そうではなくて、与野党の間で徹底した、かつ、国民の前に開かれた議論で政策を競いあい、磨きあわねばならない。
そして、権力に固執し、政争に明け暮れるのではなく、議論の結果、初志を貫くためには、衆議院を解散して国民の意志を聞くことも、あえて辞さない、という民主党の覚悟を期待したい。
(前回 原発事故で政治に新しい潮流)
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