コメについて、この制度をあらためて考えよう。
これまでの制度は、米価を支持することで農業者の所得を維持してきた。だが、この所得補償制度は、農業者に補助金を支払うことで、直接に所得を維持するという制度である。
だから、直接支払制度ともいう。これまでのように、米価を支持することで間接に所得を維持する制度とは、ここが違う、というわけである。
「価格支持から直接支払へ」という評語は、ここからきている。それが世界の農政の流れだ、という。
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ここには、いまの米価は高すぎる、という考えがある。高い米価を消費者が支払って農業を支えてきた、という考えである。だが、これからは、米価を下げるほうがいい、そうすれば、消費者は喜ぶだろう、というのである。だが、米価を下げれば、農業者は再生産できなくなる。だから、赤字分を納税者が税金で補償するのだという。
「消費者負担から納税者負担へ」という評語は、ここからきている。「消費者負担から財政負担へ」ともいう。それが世界の農政の流れだ、という。
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また、このようにすれば、農業の「過保護」の程度が透明になり、国民に見えやすくなる、ともいう。そうなれば、農業者は、もっと懸命になって、コスト削減に努力するから、輸入を自由化しても、輸入米と競争できるだろう、という。
この考えの行きつく先には、輸入自由化が待っている。政治家は隠しているが、彼の衣の下には輸入自由化という鎧が透けて見える。行き先にはTPPが待っている。
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こうした考えに基づくこの制度は、実態を知らずに机の上で考えると、良い制度に見えるかもしれない。だが、コメの内外価格差が大きい実態を見るとき、この制度は悪い制度になる。
実態をみると、輸入米の価格は国産米の約5分の1になる。内外価格差は極めて大きい。数字を当てはめて考えると、次のようになる。
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もしも、TPPに加盟して、関税をゼロにすれば、3000円(以下すべて玄米60kgあたり)のコメが輸入されてくる。一方、国産米は1万5000円である。これは生産費とほとんど同じ金額である。
だから、この制度のもとでは、農業者は、3000円をコメの代金として、市場から受け取り、生産費との差額の1万2000円を補償金として、政府から受け取ることになる。
そうなると、農業者は市場のシグナルを見るのではなく、政府を見てコメを作ることになる。つまり、市場原理が働かなくなる。
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このことは、自由貿易を唱える市場原理主義者が、自分の信念である市場原理を否定することになる。これは、自己矛盾そのものである。
このように、日本の実態をみたとき、この制度と自由貿易は、論理的に両立できないのである。
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ヨーロッパでは、この制度を採用しているが、そこには内外価格差が小さい、という条件があるからである。この条件を無視して、日本で採用するには無理がある。日本が採用するなら、日本独自の制度に作りなおして採用するしかない。
それには、ヨーロッパと違って、輸入自由化を目ざしてはならない。剣の一方の刃は矯めて、その上で、生産費を補償するという、もう一方の刃を研ぎ澄ますことである。そうして、食糧自給率の向上を目ざさねばならない。
(前回 消費増税ではなく 高齢者の労働力化を)
(前々回 TPPの2つの狙い)
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