コラム

「正義派の農政論」

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【森島 賢】
所得補償制度は両刃の剣

 農業者戸別所得補償制度は、両刃の剣である。相手を傷つけることもあるが、自分が傷つくこともある。農業者にとって、良いこともあるが、悪いこともある。それは、国民にとっても、同じである。
 片方の良い刃は、農業者の所得を補償して、再生産を保障する。いまのところ不十分だが、高く評価できる。
 他方の悪い刃は、輸入の壁を切り崩して、輸入自由化への危険な道を作る。自由貿易を信奉する市場原理主義者は、それを主張する。だが、政治家は隠す。
 この難点を克服するためには、自由貿易は世界の流れだ、などという市場原理主義の考えを捨てねばならない。彼らは、TPPに加盟して、コメさえも関税ゼロの輸入自由化を目ざそうとしている。そうして、食糧安保を脅かそうとしている。これは阻止しなければならない。
 その上で、生産費を充分に補償する、というこの制度の長所を活かした日本型の制度に磨き上げねばならない。

 コメについて、この制度をあらためて考えよう。
 これまでの制度は、米価を支持することで農業者の所得を維持してきた。だが、この所得補償制度は、農業者に補助金を支払うことで、直接に所得を維持するという制度である。
 だから、直接支払制度ともいう。これまでのように、米価を支持することで間接に所得を維持する制度とは、ここが違う、というわけである。
 「価格支持から直接支払へ」という評語は、ここからきている。それが世界の農政の流れだ、という。

 ここには、いまの米価は高すぎる、という考えがある。高い米価を消費者が支払って農業を支えてきた、という考えである。だが、これからは、米価を下げるほうがいい、そうすれば、消費者は喜ぶだろう、というのである。だが、米価を下げれば、農業者は再生産できなくなる。だから、赤字分を納税者が税金で補償するのだという。
 「消費者負担から納税者負担へ」という評語は、ここからきている。「消費者負担から財政負担へ」ともいう。それが世界の農政の流れだ、という。

 また、このようにすれば、農業の「過保護」の程度が透明になり、国民に見えやすくなる、ともいう。そうなれば、農業者は、もっと懸命になって、コスト削減に努力するから、輸入を自由化しても、輸入米と競争できるだろう、という。
 この考えの行きつく先には、輸入自由化が待っている。政治家は隠しているが、彼の衣の下には輸入自由化という鎧が透けて見える。行き先にはTPPが待っている。

 こうした考えに基づくこの制度は、実態を知らずに机の上で考えると、良い制度に見えるかもしれない。だが、コメの内外価格差が大きい実態を見るとき、この制度は悪い制度になる。
 実態をみると、輸入米の価格は国産米の約5分の1になる。内外価格差は極めて大きい。数字を当てはめて考えると、次のようになる。

 もしも、TPPに加盟して、関税をゼロにすれば、3000円(以下すべて玄米60kgあたり)のコメが輸入されてくる。一方、国産米は1万5000円である。これは生産費とほとんど同じ金額である。
だから、この制度のもとでは、農業者は、3000円をコメの代金として、市場から受け取り、生産費との差額の1万2000円を補償金として、政府から受け取ることになる。
 そうなると、農業者は市場のシグナルを見るのではなく、政府を見てコメを作ることになる。つまり、市場原理が働かなくなる。

 このことは、自由貿易を唱える市場原理主義者が、自分の信念である市場原理を否定することになる。これは、自己矛盾そのものである。
このように、日本の実態をみたとき、この制度と自由貿易は、論理的に両立できないのである。

 ヨーロッパでは、この制度を採用しているが、そこには内外価格差が小さい、という条件があるからである。この条件を無視して、日本で採用するには無理がある。日本が採用するなら、日本独自の制度に作りなおして採用するしかない。
 それには、ヨーロッパと違って、輸入自由化を目ざしてはならない。剣の一方の刃は矯めて、その上で、生産費を補償するという、もう一方の刃を研ぎ澄ますことである。そうして、食糧自給率の向上を目ざさねばならない。


(前回 消費増税ではなく 高齢者の労働力化を

(前々回 TPPの2つの狙い

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(2012.01.30)