学生時代、九州一周旅行に出て宮崎県を訪れたことがあるという清水氏は、JAグループからシンボルマーク作成の依頼を受けて、「宮崎県で被害にあわれた畜産農家の方々に、まさに不死鳥『火の鳥』のごとく復活してほしいとの願いを込めた」と述べた。
また、被害にあった畜産農家はマンガでも描けないような辛い体験をしただろうと哀悼の意を述べるとともに、「宮崎の人たちには復興に向けた元気を与え、一般の人たちには宮崎県ががんばって復興しようとしているんだということを知ってもらえるようにしたい」と、シンボルマークに込めた想いを語った。