「協同労働の協同組合」は
どんな可能性を持っているのか?
まず戦後日本の復興と労働組合、協同組合の位置づけを振り返りましょう。
終戦後の日本に乗り込んできたGHQは、この国を自力再生させるための国家改造計画を終戦から2か月も経たない10月上旬に発令します。
柱の1つが天皇制は残すが象徴天皇とすること、2つめが国民の力を活用するための主権在民、基本的人権、そして恒久平和をうたう新憲法の制定です。3つめは農地解放、4つめが財閥解体でした。
それを受けた具体的な政策が5つの民主化政策です。
[1]経営の民主化、[2]学校教育の自由化、[3]人権抑圧をしていた条例をすべて撤廃し人権を回復させる、[4]女性の権利拡大とその象徴としての選挙権の付与、そして、[5]世界で一番と言われる勤勉な労働力の活用、です。
そのために必要とされたのが、労働者よ団結せよ。これはソビエト共産党の思想ではなく働く人の力を活用するために労働組合を結成しなさいという奨励策でした。
この民主化政策についてはもちろん評価も分かれるし功罪もありますが、これを受けて当時の幣原内閣は法律を作り始める。そしていちばん最初に作られたのが実は労働組合法なんですね。1945年12月施行です。翌年には労働関係調整法、さらに罰則付きの労働基準法が47年3月にできる。新憲法は47年5月3日施行ですから、労働3法のほうが先に生まれたわけです。
しかも合わせて同じ労働者でも業種別にカバーしなければならないということから協同組合法ができていく・・・。
(続きは、「シリーズ2012年国際協同組合年に向けて 協同組合が創る社会を 第10回」で)
【略歴】
ささもり・きよし 昭和15年東京生まれ。埼玉県立川越高校卒。35年東京電力(株)入社。平成3年東京電力労組委員長、5年電力労連会長、13年〜17年日本労働組合総連合会(連合)会長(第4代)。労働者福祉中央協議会会長。