発災直後からのみやぎ生協の取組み
◆対策本部としての初動対応
大きな揺れが収まり、本部勤務の役職員全員が屋外へ避難した後、直ちに災害対策本部を立ち上げた。当時、専務理事が産直実務者全体会で不在だったため、総務部長(副本部長)が対策本部の指揮を執り、施設の被害状況把握、役職員の安否確認などを始めた。
震災対応マニュアルで、災害対策本部メンバーとその役割を明確にしていたことから、対策本部としての初動対応に大きな混乱はなかった。夜には専務理事はじめ他の役員も本部に戻り、対策本部としても本格的な活動を進めた。
対策本部では、生協の営業を一刻も早く再開し、生活に必要な物資の提供を一日も早く正常に戻していくこと、被災者への支援を行うため、行政からの緊急生活物資の要請に応えることを最優先にし、日本生協連やお取引先の協力を得ながら物資の調達、運搬を行った。また、被害が大きかった近隣のマンション住民の方から、一時避難所提供の要請があり、130名程を本部文化会館に受け入れ、食事や寝具の提供も行った。
(写真)
大地震の翌日、店頭での販売の様子
◆提供した物資は約398万点
みやぎ生協では大規模な災害が発生した場合に、店舗や共同購入の営業をできるだけ継続すること、そして行政へ協力して被災者支援を行うことをミッションとしていた。
大震災が発災した当日に、亘理町からの要請に基づき、パン2000個と水2000本をお届けしたのをはじめに、4月17日までの38日間、行政の要請に応じて提供した物資は、1日も途切れることなく約352万点に達した。また、各店舗でも行政に対し個別に物資の提供をおこなったので、提供した物資は、最終的に有償・無償合わせて約398万点となった。
お届けした物資は、発災当初は水や即食品、毛布類などだったが、避難が長期化するにつれ、肌着類、オムツ、ガスボンベやコンロ、日常生活用品などへと変化していった。また、今回の大震災では、遺体仮安置用のテントや自衛隊が炊き出しをするための物資(食材)など、今までにない要請もあったが、日本生協連やJAさんの協力もあり何とか対応することができた。
【プロフィール】
(いがらし・けいじゅ)
1952年北海道生まれ。1975年大学卒業後、大学生協へ入協。1987年みやぎ生協へ移籍。商品部商務、サービス事業部統括などを経て、2002年より経営企画部へ。宮城県生協連事務局長などを経て、2008年より現職