農政・農協ニュース

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【シリーズ】「次代へつなぐ協同〜人づくり・組織づくり・地域づくり〜」第1回 農協人は「現場」でこそ育つ

出席者
・普天間朝重氏(JAおきなわ常務理事)
・仲野隆三氏(JA富里市前常務理事)
司会
・今村奈良臣氏(東大名誉教授)

 JAおきなわは10年前に27JAが合併して県単一JAとなった。普天間氏はその合併と事業改革に尽力し、主に経済事業の構築に貢献した。
 一方、仲野氏は全国でも珍しい設立以来の未合併農協であるJA富里市で30年以上にわたり営農指導員、そして担当常務として活躍してきた。二人のこれまでの産地づくり、地域づくりの活動を軸に、職員・組合員教育の進め方と人づくりのあり方について、今村奈良臣・東大名誉教授を司会に語ってもらった。

組合員の心の中に入り信頼感を高める


◆農家の話を聞くことが何より大事

 今村 普天間さんは元々県信連出身ですが、平成14年のJA大合併に際してJAおきなわへ出向し、経済事業の立て直しに貢献されました。まったく違う分野からの挑戦でしたが、そのポイントはなんでしたか。
 普天間 まず、知らないということはそれほど怖いことではないな、というのが正直な感想です。
 生まれて初めての経済事業の経験でしたが、経済事業を学ぶ上で何よりも手っ取り早いのは農家と話すことだと思い、営農渉外担当者などに優秀な農家を紹介してもらい、何かあったらこの人たちに教わろうと、先進的な農家組合員を10人ほどピックアップしてもらい、多くのことを学ぶことから始めました。
 この10人というのは、主に園芸農家でかなり独自に栽培技術を研究するなど地域でも中心的役割を果たす人たちです。中には自力で本土に渡って篤農家を探して交流して、その技術を持ち帰って新たな作物を導入している人もいて、とにかく偉かった。
 こうして先進的な10人の農家組合員と仲良くなって、何かあったらとにかくこの人たちに相談してみよう、と決めて取り組みました。例えば、経済事業の戦略を練る時も、それが本当に農家にとって有益なのかどうかを考えなければいけませんが、そういう時にも農家の視点に立った考え方を教わったりしました。


◆1人で700戸すべて回った

 今村 仲野さんは、旧富里村農協の時代から30年以上に渡り、営農指導員として第一線で活躍されてきました。特に地域でばらばらだったスイカの生産組合を一本化して一大産地に育てあげましたね。共選共販体制の構築はどのように進めたのですか。
 仲野 私は元々農業試験場の研修生でしたが、昭和40年代前半、富里スイカにウイルス(CGMMV)が大発生して果実が畑や市場で腐敗、破裂するなどして全然売り物にならず産地全滅の危機にありました。組合員は特産スイカを守るため組合長に営農指導員の配備を求め、そして私が農協に呼ばれたのが始まりです。
 私の仕事は組合長との約束で技術と経営の指導、新作物の導入と産地化、生産出荷の組織育成の3点でした。そのかわりコメ担ぎや麦担ぎ、各推進事業などからは外され、90ccのオートバイが渡されて毎日現場を回りました。
【シリーズ】第1回 農協人は「現場」でこそ育つ 当時はスイカがウイルスに感染しているかどうかを判断する技術がなく、その判別法に苦労しました。すでに管内全域にウイルスが蔓延していましたから農林水産省ウイルス研究所で血清凝固反応を学び、農家巡回に血清を持ち歩き育苗ハウスや圃場でウイルス判定をし、罹病苗やほ場株の処分方法とウイルスの知識や防除対策を指導しました。
 地域のスイカ栽培農家700戸をすべて歩き、一戸一戸の感染源を一掃して7年後の昭和47年に撲滅宣言が出せました。それで産地が再興し、市場から信頼を得られるようになったというのが、私の営農指導員としてのスタートです。


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(2012.07.04)