◆拡充・再編された制度
戸別所得補償制度は2011年度からの本格実施案で、四方向への拡充・再編が図られた。(1)畑作への拡充、(2)水田転作の再編、(3)価格変動対策の再編、(4)加算・関連施策への拡充がそれである。
(1)については、水田・畑地において統一的に戸別所得補償交付金が導入された。米はモデル事業の定額部分を継続し、畑作物は面積払=営農継続支払を必要最低額として先払いし、販売数量が確定した段階で数量払を追加払いする二段階方式が導入された。
(2)は水田活用の所得補償交付金と総称され、別事業だった耕畜連携事業が一体化されたほか、その他作物への助成と激変緩和調整枠を一体化して地域独自の取り組みを支援する産地資金が創設されるとともに、都道府県の判断で畑地も対象にできることになった。
(3)については、現行の収入減少影響緩和対策が廃止され、米はモデル事業の変動部分が米価変動補てん交付金に名称変更して継続するが、畑作物のナラシ対策はなくなった。
(4)では、加算措置として畑作物の数量払における品質加算、不作付地への作付に対する再生利用加算、集落営農法人化加算、休閑緑肥輪作加算などが設けられた。
また、中山間地域直接支払制度と農地・水・環境保全向上対策が関連施策に位置づけられ、前者では離島の平地に傾斜地と同等の扱いを適用するほか、交付金の1/2以上を個人に支払うことを原則とする重大な変更を提起した。後者は資源保全の取り組みに対する農地・水保全管理支払と環境保全型農業支払を分離する改善が施された。
◆体系化に向けた前進は?
拡充・再編によって戸別所得補償制度は体系化に向かって一歩前進した。これが最大のメリットである。
第1に、恒常的なコスト割れ+重要作物+輪作的な作付、という視点から作物を選択し、水田・畑地の統一的な所得補償が具体化された。第2に、担い手政策(戸別所得補償)+生産条件不利地域対策(中山間地域等直接支払)+資源保全対策(農地・水保全管理支払)+環境保全型農業支払という3〜4層からなる、すっきりとした直接支払政策の体系が提示されたからである。
とはいえ、体系性の説明の不十分性、農地・水保全管理支払と多面的機能維持政策との関連の不明確性、環境保全型農業支払は加算措置に位置づけられるべき、といった疑問も多々ある。だが、以下でまず問題としたいのは様々な単価設定にあたっての説明に統一性が欠けるのではないかという点である。
◆米と畑作物、制度は整合的か?
第1の問題は、単価積算根拠としての生産費と販売価格の取り方が恣意的ではないかということである。米は「所得補償1.5万円+米価変動補てん」、畑作物は「面積払2万円+数量払」の所得補償(10a当たり)が提起されているが、それぞれの積算根拠を表1に示した(米の固有の問題は前回指摘した)。
これによると、生産費は米の場合、過去7年中庸5年平均の経営費(副産物価額含む)に家族労働費の8割評価が加わったものであるのに対し、畑作物は過去3年平均の全算入生産費である。統計期間に加えて、生産費の範囲も大きく異なっている。
米では構造改革が遅れているから、全算入生産費を用いると零細経営まで「過度に」所得補償しすぎてしまうのに対し、畑作は構造改革が進んでいるから全算入生産費が妥当だという説明が可能ではある。
だとすれば、前者も全算入生産費を取ったうえで、この8割というような形で提示した方が政策体系としての首尾一貫性は保てるし、何よりも分かりやすいはずである。
同様に販売価格も統計期間が複雑である。
米所得補償では過去3年平均だが、米価変動補てんでは過去5年中庸3年平均であり、同じ米の枠内でも差が生じた。しかし、これには背景がある。米所得補償で採用した相対価格は2009年に政策設計した段階では2005〜07年産の3年しかデータがなかったから、過去3年平均とせざるをえなかったが、現在では09年産まで5年間のデータがあるから過去5年中庸3年平均を採用したというのがそれである。数量払の畑作物所得補償でこれが採用されているのはよしとしよう。
だが、そうすると、畑作物所得補償の生産費で過去5年中庸3年平均、あるいは過去7年中庸5年平均が採用されず、過去3年平均が採用されたのはなぜかという疑問が生じるだろう。
◆畑作物面積払の根拠不明な単価
第2の問題は米の定額部分(所得補償)に該当する畑作物の面積払の理論的根拠が前者と全く異なる上に、理解が容易ではないことである。
米では標準的な販売価格と標準的な生産費用の差額として10a当たり1.5万円が提案された。標準的な生産費用の取り方を変えれば、助成水準は大きく変化する。これに対し、畑作物では輪作体系が前提となることから、表2のように、4作物平均の生産費のうち、「収入の大幅減少があった場合でも、次の営農期間まで農地を農地として保全し、営農を継続するために必要最低限の経費」を根拠とした。たしかに、労働費は全額補償されないと生活できないであろう、営農開始にあたってはトラクターの農機具費と耕起・整地の光熱動力費、除草剤費などが不可欠だろうというのがこれらの経費が計上されている理由である。
しかし、種苗費や肥料費を欠いていながら、そもそも生産が始まるのだろうかという素的な疑問を拭い去ることができない。つまり、ここでも米の定額部分を算出したときと同様に、1.5万円(概算要求の8月30日までの案)や2万円(同8月31日案)といった単価に合わせて、根拠の数字あわせがされているにすぎないのではないか。
◆価格変動対策は不要か
第3の問題は米では米価変動対策が継続されているにもかかわらず、畑作物ではナラシがなくなったことである。全てを固定支払にするか、固定支払と変動支払の併用にするかという政策選択はありえても、米と畑作物で異なる組み合わせに移行するというのは政策的な整合性という点で問題であろう。
もしかすると、「米では生産を抑制し、麦・大豆等への転作を進める観点」が前面に出た結果の政策選択かもしれないが、これは戸別所得補償モデル対策での基本的な考え方とは異なる地平にシフトしたといわざるをえない。
モデル対策では、米以外の作物生産を増大させることが必要だが、そのためには水田農業経営の安定が必要だということを根拠として、定額部分=岩盤対策を前面に出した政策体系が採用されたはずである。変動部分はこれを補完する位置にあったとみるのが自然だ。
だとすれば、畑作物でも価格変動対策が導入されて然るべきであり、これを欠いたということは、畑作物では価格低下は余り見通されていないのに対し、米では長期的な価格低下傾向が前提とされた政策選択を意味することになる。それはモデル対策からの思想の転換であり、発展とはいえない。ここに、モデル対策の総括を欠いた制度本格化の問題が集中的に現れているのかもしれない。
当初の予定では今回、戸別所得補償のあるべき単価水準についての検討結果を示すつもりだった。しかし、政策体系自体の問題点が明らかになったので、次回に送ることにした。読者のご寛恕を乞いたい。
東京大学大学院農学生命科学研究科教授