逗子に拠点を構え、都市近郊農業の歴史とともに歩んでいる当社ですが、これは大阪出身の祖母方の別荘が逗子にあったためです。
戦後の食糧難時代ながら、農業との関わりがある商売をしていたお陰でしょうか。空腹で畑の農作物を失敬するようなこともなく、小学生から中学生時代を過ごしました。
その頃、農業の現場を知らなかったことから、単純に、農業をすれば食糧の確保ができるものと思いこんでいた訳です。
ところが、仕事に就いてまもなく、生育不良のデータ集めで、スイカ畑を1枚づつ調査・巡回するクレーム事故に遭遇し、農業経営・栽培の難しさを体験いたしました。
土壌の性質はもとより、畑が北斜面・南斜面のどちらを向いているか、さらに、風の影響の有無によっても、スイカに大きく収量の差が出るため、キメ細かく畑ごとの管理を行う必要があると勉強しました。
安定して、おいしい農産物を収穫するための知恵と経験、さらに、情報の大切さが必要なことを体験しました。
現地・現場に合った、畑ごとの栽培管理について、農家の方々と話し合いができる知識と、正しい情報の迅速な提供の必要性を実感し、以後の仕事の進め方に大きく影響した記憶があります。
今日、情報の管理とタイムリーな提供の仕組みづくりに注力し、作物管理のヒントになる情報提供によって、安心で、おいしい農産物を安定的に低コストで栽培する、農業経営のお手伝いに喜びを感じる仕事を継続する原点になったのです。
(その2に続く)
【略歴】
(はすみ こうじ)
昭和15年8月29日、広島県生まれ、69歳。昭和37年横浜市立大学商学部経営学科卒、39年京浜興農入社、平成元年社長就任。7年全国農薬協同組合(全農薬)副理事長、8年より10年間農業資材審議会・農薬部会委員、20年全農薬顧問。
京浜興農(株)社長