病気予防と飼料効率を改善 肥育経営への貢献に期待
◆重要な胃の微生物環境
小林泰男教授 |
ルーメンとは、牛や羊など反芻動物(一度飲み込んだ食べ物を再び口に戻してかみ砕く反芻行動を行う草食動物)の第1胃のこと。トウモロコシや麦などの飼料を微生物によって分解し、酢酸、プロピオン酸や酪酸など低級脂肪酸と呼ばれる牛のエネルギー源を作り出す。ルーメンは牛の胃の8割も占めることから「巨大な発酵タンク」とも呼ばれる。
いうまでもなく肉牛経営にとっては飼料をいかに効率的に増体重と肉質向上に結びつけるかが課題だ。
小林教授によると、飼料のエネルギー転換効率のもっとも高いのが、低級脂肪酸のうちでもプロピオン酸なのだという。つまり、プロピオン酸がたくさん作り出されるような微生物環境をルーメン内に作ることができれば、飼料の利用効率も高まることになる。少ないエサで早く肥育できることが期待できるわけだ。
このルーメン内の微生物環境を変えることを実現したのが抗生物質で、これまではそれを飼料に添加してきた。しかし、牛に限らず豚、鶏などにも普及した抗生物質給与は耐性菌を生み出し、90年代にはそれが人間にも悪影響をもたらす懸念も指摘されるようになり、畜産分野での成長促進目的の抗生物質使用が世界的に見直されるようになってきた。EUは06年に全面使用禁止した。日本では、食品安全委員会がルーメン環境を改善する抗生物質について安全性に問題はないとしているが、消費者への配慮から使用する畜産農家は減少傾向にあるという。
しかし、抗生物質を使用しないと適正な微生物相が維持できにくいため、飼料効率が上がらず多くの飼料を必要とするだけでなく、鼓張症など病気の発生もしやすくなるという問題も起きる。
鼓張症とは、ルーメン発酵によって生まれたネバネバの粘質物質がガスを包みこみ「げっぷ」が出なくなる症状だ。牛は腹がふくれるから、いわゆるエサの「食い止まり」が起きて増体しなくなってしまう。ときには死亡に至ることも。
また、乳酸が増え続けて胃の環境が過度に酸性になるアシドーシスも起きやすくなる。これも食い止まりにつながる。
◆カシューナッツ殻油の力
このような病気予防の観点からも抗生物質に替わる安全な天然素材由来の添加物が求められていた。小林教授によるとヨーロッパでは21世紀になってから研究者が総力をあげてハーブやガーリックオイルなど500もの候補を対象に有効な素材発見に取り組んだ。が、これまでに決定的なものはまだみつかっていない。
こうしたなか一昨年、小林教授のもとに出光興産から持ち込まれたのが、同社研究部門が目をつけたカシューナッツ殻油だ。
カシューナッツ殻油(以下、カシューナッツオイル)には抗菌作用があり、塗料原料として日本に大量に輸入されている。しかもその抗菌性は特定の微生物を選択的に叩くというもので、それが鼓張症やアシドーシスの原因となる細菌を叩くのに有効ではないかと出光興産と小林教授は考えた。
小林教授は試験管のなかで牛の胃液にあたるルーメン液をカシューナッツオイルとともに培養する試験をしたところ、鼓張症の原因となる粘質物資がもたらす粘りや泡が少なくなることを確認した。その後の人工ルーメンや羊への給与実験でも微生物相が有益な方向に変化することが分かった。
これまでの研究で、カシューナッツオイルに含まれる成分が鼓張症とアシドーシスの原因物質を作り出す細菌(グラム陽性菌の一部)を選択的に殺菌することが分かった。一方、エネルギー転換効率のもっとも高いプロピオン酸を産生する細菌(以下、プロピオン酸菌)が優勢となることが考えられ、事実、プロピオン酸だけが顕著に増加することも確認されている。
「カシューナッツオイルを肥育当初から給与すれば、病気の予防になるだけでなく飼料効率も高まることが期待できる」と小林教授は話す。
メタン発生を大幅削減―温暖化対策にも有用
◆メタンを大幅削減
もうひとつ、研究の過程で驚くべきことが判明した。培養実験で発酵産物を分析したところメタンが最大で98%も減少していたのだ。人工ルーメンでも羊への動物実験でも70〜90%削減されることが確かめられた。
メタンガスは微生物による飼料の発酵過程で出る水素にメタン菌が作用して発生するが、これは飼料エネルギーのロスでもある。なぜならメタンは家畜に利用されずに「げっぷ」として排出されるからだ。一方、プロピオン酸をつくるのにも水素を必要とするため、ルーメン内ではメタン菌とプロピオン酸菌が水素の争奪戦を演じていることになる。メタンという形でエネルギーロスとなるか、プロピオン酸として家畜に利用されるかで、飼料エネルギーの行方は大きく異なるわけである。
そこにプロピン酸菌がルーメン内で優勢になるよう、ほかの菌をやっつけてくれる強力な援軍がみつかった――。それがカシューナッツオイルというわけである。そうなると発生する水素をプロピオン酸菌が数は力とばかりにどんどん利用してプロピオン酸を作っていく。一方、メタン菌は水素の争奪戦に敗れ、その結果、メタンの発生が抑制される、ということである。それは飼料エネルギーのロスを少なくし、飼料の利用効率を高めることでもある。
メタンは地球温暖をもたらす温室効果がCO2の21倍もあるといわれる。だがメタンを出す牛をはじめとする反芻家畜は人間が良質な食料を確保するために自らが増やしてきたものである。だから今さら牛に温暖化の罪を負わせるのはお門違いである。
食料危機が叫ばれるなか今回の研究成果は、家畜の病気予防と効率的で安全・安心な畜産生産に貢献することで食料を確保し、同時に地球温暖化防止の側面も持つ。「欧米の畜産立国やアジアの途上国のうち牛からのメタン排出率が多い国への技術貢献にもなる」と小林教授は話す。国の特別研究予算が先日認可されたため、08年中にもいよいよ牛への野外給与試験がスタートする。「増体効果と肉質を比較したい」という。
また、酵母菌の一種シュードザイマが産生する界面活性剤にもカシューナッツオイルと同じ効果があることも確認されている。出光興産では、小林教授の試験と並行しそれぞれの物質の製剤化開発に着手し、2011年の商品化をめざしている。(関連記事)