社会革新を目指す「新たな協同」
経済の安全保障を考えて
◆貿易構造の実態を知らない議論が・・・
内橋 食料自給圏の形成をいうとすぐにWTOルールがどうの、保護主義から戦争になるなどといいますが、これは今の貿易構造の実態を知らない俗論か、それとも企みを秘めたものの議論でしょう。
今、行われている世界の交易は超国家企業(約6万社)同士の取引が3分の1、超国家企業内の本店と支店・海外法人の間の取引が3分の1で、残りの3分の1がお互いに「良き物は交換しましよう」という本来の意味での交易です。FEC自給圏形成の主張がどうして保護主義とか戦争に結びつくのか。トリックとレトリックの正体をきちんと見抜く力を望みたいものですね。
いまも新たな貿易ルールづくりのほとんどが多国籍超巨大企業主導の「世界市場化」、つまりは自らの利益追求が容易になる「バリアフリー市場」(障壁なき自由市場)を世界につくるという方向で動いています。それでいいのか、と。強い疑問符が逆に世界から突きつけられる時代へと向かっています。NGOで著名なスーザン・ジョージさん(仏ATTAC副代表)は「もうひとつの世界は可能だ」と。世界のNGOが強い説得力をもつようになってきました。米国も方向転換せざるを得なくなるでしょう。
これに対して米国でのマスコミは、メディアの帝王といわれるマードックが共和党、さらにウオールストリートや民間保険会社などの利益代表となってオバマ・バッシングを強め、FOXはじめテレビでは大統領に多少でも賛意を表するようなキャスターはみんな降ろされていく。所得再配分、医療改革が実現に向けて近づけば近づくほどにオバマ大統領の支持率が下がっていくわけです。もはやジャーナリズムは過去のものになった、と、ピューリッツア賞を受賞した往時の大記者が嘆いています。
梶井 秋田の問題ですが、今まで生産調整をしないでもうけてきたほうの肩を持つような発言はどうかと思いますね。
駒口 減反の当事者としてあれはショックでした。振り返れば農地解放に始まり、社会的な桎梏(しっこく)が取れて、2、3反の農家では飯を食えるわけでもないのに敗戦後の農村には何か明るさがありました。
また農業基本法ができた時は小農切り捨てだという意見も出ましたが、農業で飯を食おうという人には基本法が1つの目標を与えてくれました。それが減反で挫折したわけですが、減反が基本法農政とどういう整合性を持つのか、きちんとした話し合いもないまま来ています。
だから今度転換するとすれば過去の政策の総点検をやってほしいと思います。そして新時代の農政のあり方を大議論して農家とともに政策をつくり上げてもらいたいものです。
明治維新の時も小農論と大農論がありましてね。結局、大久保利通が大農論は日本向きではないとしてその後小農論みたいな形の政策が続きました。
◆EU諸国の食料安全保障と比べて
集落全体が共生社会のように歩んできた枠組みを温存するというのではないが、時間と共に徐々にそれを変えていくほうが、特定の者だけを大事にして農業を任せるというよりはいいんじゃないかと思います。農村社会の維持のためにも伝統文化を守っていくためにもね。
減反が始まる時には農村構造の再構築ということで集落農業を提起しましたが、現状は先ほどいった通りです。だからいっぺん総点検をおやりになったらいかがでしようか。
内橋 政策はFEC自給圏をつくる方向へと動かざるを得ない、そういう瀬戸際だと思います。従来型のものづくりでやっていける時代ではないのです。例えば汎用の電化製品などは中国・インドのほうが価格でも技術でも進んだ製品を世界に送り出す。省エネカー、電気自動車へと進めば進むほど、いまやどの国でも容易につくれる時代になった。
「生き続ける国民経済」という視点を国家戦略にきちんと位置づけなければなりません。
その点、欧州、北欧は先進的ですよ。フランスなどでは市場原理主義的な政策にノーを突きつける。たとえば主食のフランスパンは今も公定価格、定価です。安売り競争に陥ると農業生産者が立ちゆかず、高くなると消費者のなかで貧しい階層が苦しむからです。
また大規模店のバーゲンは年に2回に規制されています。中小零細店の徹底保護がロワイエ法の大目的。日本の“毎日バーゲン”はまさに「どん底に向かう競争」の野放しです。
いま日本の穀物生産高は1000万tですが、これをEU諸国の食料安全保障と比べると、人口も国土面積も半分のイギリスが3000万t、ドイツは5500万t。「人間の安全保障」を守ることのできる経済秩序をめざす。政治の次元が日本と違うということですね。
梶井 生産調整が本格化し始めた1976年に、当時農林大臣だった鈴木善幸さんは、これは自給力の低い作物を水田で作ってもらって総合的に自給率をあげるためにやるんであって、単なる米価維持政策じゃないんだといいました。そして、農林省の計画課長なんかは「この事業は2000年来の水田農法を変革する大事業なんだ。10年20年ですむような問題じゃない。長期目標をもって抜本的に農法を変えていくのだ」と明言していました。しかし、その政策は永続きしなかった。変わっちゃうんですね。
生産調整政策自体が3年くらいで変わりました。これでは一定の農法を定着させようとする努力が続けられません。特に米政策改革大綱以降、効率的経営さえできれば何とでもなるということで、おかしくしてしまった。一貫性のなさが従来の基本的な欠陥です。これをどう改めていくかが1つの問題です。
(写真)
駒口 盛 JA宮城中央会元会長
◆UR対策費6兆円の使い方に反省を
農業に関わる問題の処理には時間がかかりますが、農外の人の議論には時間を無視したものが多い。長期政策としての一貫性をどう新しい政策の骨格としていくかも今後の課題です。
駒口 新しい政策を農家に周知して、よしやろうとなった時には政策が変わる、これでは何も育ちません。
私が農協専務のころ、苗床に油紙をかけて苗を育てる技術を導入しましたが、これは誰が考えても合理的です。しかし町内1300戸の導入までには10年くらいかかりました。誰かがやってみて成功したのを確かめないと隣近所に広がっていかないのですよ。それが農家なんです。
それから反省点としては、ガット・ウルグアイラウンドの交渉妥結後に措置された対策費6兆円の使い道があります。
私どもはほ場再整備に使いましたが、ほかの地域では農家負担の同意取りつけが難しい事業をやめ、役場だけで進められる箱物を建て今、その運営に困っています。構造改善ならぬ「構造改善事業」というヤツで不急のものをつくったわけです。
あの時、JAはもっと使い道について提言すべきでした。
梶井 ウルグアイラウンド妥結は、ある意味でコメ自由化の恐らくはしりになるわけだから米価低落への備えが必要だったのですが、6兆円の中には米価低落に対する財政的な手当てはありませんでした。コンニャクイモにだけは手当てがつきましたが、どうも本当の対策になってないという感じでした。
それからWTO農業協定前文には「食料安全保障と非貿易的関心事項」に留意しながら…とあり、一応自由化一辺倒じゃないんだとなっているんですが、その後の交渉ではほとんど、これに関心が払われていません。日本政府も最初に各国農業の共存を主張しました。今後その枠組みを守って国際的にどういう態度をとっていくのか鳩山政権に明確にしてもらう必要があります。
(写真)
協同組合間協同はJAグループにとって課題だ。本紙も09年9月30日号(JAcom09.10.2広島県の協同組合連携、25年の取り組み)で広島県協同組合連絡協議会の取り組みをレポートした。写真提供は生協ひろしま
◆戸別補償だけでは農業は栄えない
駒口 5反歩ほどのコメ農家の感覚は、所得が労働費を含めてマイナスのかっこうであり、そこに戸別所得補償を上乗せしても大したことはなく、これで農業が栄えるような話にはならない、といったところです。
それに戸別補償は日米自由貿易協定と裏表になるんじゃないの? 協定で農産物価格が下がった分を補償するだけじゃないの? といった受け止め方をしています。自由化でコメ以外の農産物が大変な目にあっていることを見て来ているからです。
内橋 猫の目農政の有為転変を見ていると、マクロの日本経済は、経済の安全保障に余りに無知、無関心な人びとによって左右されてきたのだ、とつくづく思い知らされます。
例えば当初、民主党マニュフェストには「日米自由貿易協定の促進」がうたわれていた。これがどれだけ危険なものか。メキシコやオーストラリア、台湾の例は本紙の座談会で前にもお話しました。NAFTA(北米自由貿易協定)によって破壊されたメキシコのトウモロコシ生産、それによって巻き起こった食料価格の高騰、大規模デモなど・・・。
米国の農業は今、GDPに対する割合が大きく低下し、0.9%すれすれの瀬戸際に来ています。だからこそ、より戦略的になっているのです。
カリフォルニア州にはシリコンバレーの向こうを張ってコメビジネスの拠点を目指すサクラメントバレーがあり、“ライスバレー”とも呼ばれています。
ここで試作されているコメはなんと1700種類もあり、日本の著名ブランドは秋田こまち、コシヒカリ、ササニシキに至るまですべて栽培されており、日本のコメ市場開放を“今や遅し”と待ち構えているわけです。オークランド港からはすでに年間350万tものコメが世界に輸出されています。“アメリカ製日本酒”も世界商品ですよ。
戸別所得補償と引き換えに日米FTA締結というのは、まさにこれまで経団連が提唱してきたところです。このからくりを見逃すと代償は余りに高くつくのではないでしょうか。
◆共生社会へと産業構造の変化は必至
梶井 民主党の10年後50%、20年後60%という自給率向上を私は評価していたのですが、それに向かってどう政策を組み立てるのか、今もって方針が出てきません。また食料・農業・農村基本法見直しの企画部会が新政権になって先ごろ初めて開かれましたが、そこにも諮問や提起はありませんでした。
内橋 池田勇人内閣は日本を世界の工場にする、という国家目標を打ち出しましたが、そのような路線はもはや明らかに限界です。これからはFECを経済政策の中心に据えないとやっていけない時代が来ます。
余り知られていませんが、米国ではすでにE、つまり再生可能エネルギーの領域で相当な雇用が実現しているのです。米国への輸出でぐんと強いのはデンマークです。たとえば風力発電。デンマークはハードとともに社会システムそのものをアメリカにもっていく。つまり自然エネルギーを社会にどう定着させるのか、自らの国で成功したモデルを一緒にして持ち込みますから、付加価値はうんと高い。
そのデンマークでは、石油ショックのころ、エネルギー自給率はわずかに1.5%に過ぎなかった。それが、いまや180%を超え、EU圏に輸出するまでになっています。食料自給率は300%ですよ。
デンマークがエネルギー自給国になっていく過程には強力な政策主導がありました。
輸入する石油には二重価格制を課し、石油の国際価格がどんなに下がっても国内価格は下げない、など。いまでいえばWTOルール違反ですよね。が、毅然としてやった。
一方で国内の再生可能エネルギーは徹底的に優遇しました。こうして市民共同発電方式を育てたのです。有権者の6割が出資者です。政治のあり方が国の姿を変える。
こういう国が世界には少なくない。日本はどうするの?ということになってきます。
先般の国際協同組合連盟(ICA)の総会では、JA全中、日本生協連など日本代表が主張した「行き過ぎた市場原理主義と利益追求が世界に経済危機をもたらした」という一文が特別決議文に盛り込まれました。これはとてもよかったと思います。
そのような認識の上に、では次にどのような日本社会をつくっていくのか、それが問われているわけですね。「新たな協同」もその一つでしょう。でも、新たな協同とは真の「社会革新」を抜きにはあり得ない。北欧では“ソーシャル・イノベーション”という言葉が頻繁に使われます。
その社会革新には「共生セクター」の足腰を強く育てることが必須です。「競争セクター」に対置する概念として私はこの言葉を長らく使ってきました。分断・対立・競争を原理とする競争セクターに対して、参加・連帯・協同を原理とするのが共生セクターです。
(写真)
梶井 功 東京農工大学名誉教授
◆産業革命の期限切れが来たようだ
共生セクター中心の共生社会を支える経済とか産業構造とは何か、そこを深めていくことが最初の一歩です。先にも話しました第三の共同体、つまり「使命共同体」をめざす。FEC自給圏の中心的な担い手も使命共同体であるべきですね。いよいよ私たちの社会もそういう方向めざして変わらざるを得なくなってきました。北欧はいうまでもありませんが、ヨーロッパ全体がそういう方向めざして大きく進んでいますから・・・。
いってみれば、かの産業革命にほんとうの意味でやっと賞味期限切れの時がやってきたということでしょうか。
梶井 使命共同体がこれからの課題ですが、これは正に協同組合が目指していた社会です。
内橋 そうです。
駒口 全中なんかももっと胸を張って宣言しなくちゃね。
内橋 協同組合が本当に脱皮し、中身を入れ替え、使命共同体をどう創造し構築していくのか、そういう運動がなければ高度失業化社会の到来も避けることはできないでしょう。
梶井 JAグループも大会決議でいう「新しい協同」とは使命共同体として組織を強化していくんだというふうに意義づけをやればいいと思います。
駒口 みんな今までの延長線上で考えているわけです。農協組織はそれでいいのか本気になって考えないといけません。
私自身、今まで政・官・団体と一緒に農政をやってきたのだから良かれ悪しかれ責任があるわけですが、現状は民主党政権と農協組織の関係は必ずしも良くありません。
これまでは時の政権に肩入れし、その一翼を担い、要請があれば選挙活動を中心にお手伝いをした、そういう関係をここで見直して農政活動はいかにあるべきかを考えた時に、原点に戻って協同組合運動は政治的に中立であるというところから始めないといけないと思います。
梶井 それはその通りです。
駒口 もう1つ大会決議で気になるのはまたJA合併をいっていることです。合併には大変なエネルギーが要ります。これを今のような時期になぜやるのか。合併は組織のためですよ。組合員のためではない。
そんなことにさらなるエネルギーを費やしている時ですか。それよりも組合員のためにを原点にして、今の時代にどう対応すべきかを各地域で農協ごとに考える運動を起こすことこそ一番大事だと思います。
(写真)
内橋克人 経済評論家
◆協同組合間の協同は非常に大事だ
梶井 農協といっても主体が農家にあるというだけで実質的には地域協同組合なんですね。だから地域の使命共同体をどうつくっていくかの中核にならなきゃおかしい。それがJAの発展方向だと思います。
それを経済組織としての自己保存ばかりを目指しているような感じで「さらなる合併」をいうのは問題ですね。
内橋 旧政権の下でのJAのあり方を根本的に省みることが求められています。すでに市場原理主義への訣別、その対極への意思は明快に表示しているわけですから、では具体的にこれから何をめざして運動性を高めていくのか、新たな協同の中身を個別具体的に問うていくことが大切ですね。
また地域社会コミュニティの内部に使命共同体をつくり上げていく、その運動の中核になることができるような運動性が必要です。むろん、事業性との両立が求められることはいうまでもありませんが…。それも「理念型経済」を目指しての事業性ですね。
とりわけ農協と生協の「協同の協同」は地域の中で大きな力を発揮できると思います。地域社会そのものがもっと足腰の強いコミュニティに変わっていかなければ・・・。
梶井 協同組合間協同が広がっていますが、あれなんかは正に新しい協同社会づくりの一番いい方向ではないでしょうか。
内橋 広島では「協同の協同」を中国新聞も共になって進めているようですね。生協と農協のコラボレーションも・・・。また労働者協同組合が活発に動いて中山間地帯での棚田などの保全に協同労働を役立てようと呼びかけています。
協同組合間協同はものすごく大事ですよ。中小企業家同友会という団体がありますが、この中小企業の自発的な組織もまた理念において「新たな協同」と通底しています。地域社会で果たす役割には、数多くの自発的組織にたくさんの共通性が認められます。
梶井 いい足りなかったことが1つ。それは戸別所得補償ですが、農業には地域性がありますから、各地域で基軸に据えた作物でちゃんと生活できるような所得補償をどう組み立てるかが大事です。ところが民主党の政策にはその観点が全く見えません。
◆旧政権には地域政策が欠如していた
この問題では旧政権の時から地域政策は欠如していました。日本農業の再建を図るなら地域政策をどう確立するかが非常に大事です。
内橋 社会革新、つまりソーシャル・イノベーションに取り組まざるを得ない瀬戸際に私たちは立たされているわけですが、大切なことは「経済の安全保障」という考え方をきちんと貫くことです。
それは2つの「しょく」の保障です。1つは職業の職、つまり仕事。「職なくば人間の尊厳もない」という基本認識です。もう1つは食料の食です。この2つが確立されていない国民経済には安全も安心もなく、景気ひとつとりましても、「自律的回復力」を育てることもできないでしょう。
「国民経済の安全保障」あってこその「人間の安全保障」です。足腰の強い地域コミュニティ、FEC自給圏の形成、その基礎的単位としての使命共同体、そこに「新たな協同」がめざすべきゴールの姿があるのではないでしょうか。
(おわり)