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【第55回記念JA全国女性大会特集】気づこう一人ひとり、行動しよう仲間とともに
対談 落語家 古今亭菊千代さん--作家・評論家 吉武輝子さん

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【特別対談】「女にはムリ」に挑んで男社会の中で初志貫く  落語家 古今亭菊千代さん、吉武輝子さん

・増えた女性の弟子入り
・安住の気持ちが恐い
・一括りにしないように
・憲法9条は日本の誇り
・もったいない遊休農地

 農協界は男社会。落語会も同じだ。その中で菊千代さんは400年の伝統を破って16年前、女流の真打となり、精進を続けている。昇進までには女性ならではの苦闘があった。今もなお「女の噺家はまだ認められていない」と安住を戒めている。吉武さんの進行で、そうした心境などを縦横に語ってもらった。

“9”を紋どころにして
政治的な話題も率直に

 

【特別対談】「女にはムリ」に挑んで男社会の中で初志貫く  落語家 古今亭菊千代さん、吉武輝子さん
◆増えた女性の弟子入り


落語家 古今亭菊千代さん 吉武 女流の落語家は今、何人くらいいらっしゃるの?
 菊千代 東京と大阪を合わせて30人以上いるはずです。
 吉武 女性の真打は何人?
 菊千代 東京に4人です。前座→二つ目→真打と進む制度は東京だけです。大阪のほうには私の先輩となる女流の「師匠」が2人おられます。
 女性で初めて真打になった三遊亭歌る多姉さんと私と、大阪のお2人と毎年末に「東西女流華乃競艶会」を開いています。
 吉武 女流も増えたのねぇ。
 菊千代 NHKの朝ドラ「ちりとてちん」のあとポコポコッと増えちゃった。テレビの影響は大きいですね。それまでは東西合わせて10数人でした。
 吉武 菊千代さんはどうして落語界に入ったの?
 菊千代 大学で落語研究会に入ったのをきっかけに落語家になりたいと思ったんです。しかし“女にはムリだ”といわれてあきらめ、広告代理店に就職しました。偶然に柳家小さんにインタビューする仕事があって「(女性でも)要はうまけりゃいいんだけどな」といわれたのを聞き、〈よし、まだ27歳、今なら間に合うぞ〉という気になって退職し、末広亭の楽屋口で師匠の古今亭圓菊を待ち伏せして入門を直訴しました。
 吉武 結婚のほうは?
 菊千代 もともと、その気はなかったのですが、男が嫌いなわけではなし、ホれられると弱いので、広告代理店在職中に結婚式はしたのですよ。
 吉武 ホれられたんだ。
 菊千代 しかし事前にハプニングが起こって、すぐ別れました。その時、〈私はいったい何をしているんだ、本当にやりたいことは何なんだ〉と自問自答し、苦しくても初志を貫こうと決意したのです。今も男はもうこりごりだとの思いなどをよくネタに使っています(笑い)
 吉武 籍は入れなくてよかったわねぇ(笑い)。弟子入りすると、まずは前座ですか。

 

(写真)
(ここんてい・きくちよ)
 1956年7月東京生まれ。桜美林大学文学部卒業。84年に2代目古今亭圓菊門下に入門。93年真打。同年噺家修業の旅に出て東京・日本橋から京都・三条大橋まで東海道五十三次の辻々で落語を演じた。古典落語の他、新作、手話落語なども手掛けている。


◆安住の気持ちが恐い


作家・評論家 吉武輝子さん 菊千代 いえ見習いです。長くて1年程度ですが、私の入門当時はバブル景気で就職口がいくらでもあったから、噺家志望者は少なくて前座も手不足だったため短期間で見習いから前座になりました。就職先のない今とは大変な違いです。
 吉武 ご両親は娘の落語界入りに対してどうでしたか。
 菊千代 応援者でした。1人暮らしの私に対して家から通うことという条件を1つつけただけです。
 吉武 入門から真打に昇進するまで何年かかりましたか。
 菊千代 9年くらいです。普通は14〜15年、長い人は16年くらいでしょうか。真打昇進は平成5年です。
 吉武 高く評価されたのね。
 菊千代 いえ、落語四百年の歴史上、初の女真打を出現させて、落語界を活性化させようと落語芸術協会が花火を打ち上げたかたちなんです。
 協会では、私より3年半ほど先輩である歌る多姉さんの昇進で一致し、では菊千代も一緒にーという決定になったそうです。
 吉武 男社会の中での修業にはいろいろなハンディがあったことと思います。
 菊千代 “女にはムリだといったのに”“ホラ見ろ”などといわれないために崖っぷちを歩く気持ちで片意地張ってやってきたという感じはありますね。しかし、もう大丈夫だという安住の気持ちになった時が一番恐いと思うのです。

 

◆一括りにしないように


 しかし、うちの弟子を見ても緊迫感がなく「あんたね。女の噺家なんて、まだ全然認められていないのよ」といってもわかってくれません。筋の良い女の子も出てきているから今度は女の中で比べられます。私と歌る多姉さんもよく比べられました。
 吉武 つらいわね。
 菊千代 「歌る多はこうしているが、お前はしないのか」なんてね。2人しかいない女性をなんで比べたりするのかと反発もし、本人同士で「気にしないようにしましよう」とお互いに慰め合ったりもしました。
 今の女流真打は4人4様で、噺の仕方もネタも違います。4人しかいないから4種類ないともったいないわけです。それを一括りにされたりするのは心外です。今こそ女流が気を引き締めてがんばるべきです。
 吉武 私が大学を出た当時、女性を雇う会社がほとんどない中で、映画監督になりたかった私は女性は不可と書かれていなかった東映の芸術職を受験しましたが、面接では映画づくりに関わる質問は一切なく、「結婚したら退職するつもりか」などとそんなことばかり聞き、その挙げ句に「どこの映画会社でも女性は事務職だ。芸術職には採用していない」というのですよ。
 思わず席を立った私は、男性ばかりの試験担当者に向かって「あなたがたにも娘さんがいらっしゃるはず。こんな女性差別を受けたらどんな悔しい思いをすることか。私はこんな会社に入りたくありません」と帰りぎわには泣き出しました。
 結局、審査員の1人から「いったん事務職の宣伝部に入って時節を待てば助監督への道が開けることもある。時代は変化しているんだから」といわれて入社しましたが、当時と比べ、確かに今は女性の働き場所の枠は広がりました。そこには先人たちが開き、次世代に引き継いできた道があるのです。
 ところで着物と羽織に「9」という紋がついていますが、それはどういうわけですか。

 


◆憲法9条は日本の誇り


 菊千代 憲法第9条を守ろうという意思表示です。ピースボート(国際交流NGO)のお仕事で外国へ行くと、よく「日本国憲法の9条はすごいね」といわれます。〈自分の国の憲法にも9条がほしい〉という思いがあるのでしようね。それで改めて日本の平和憲法を意識し、落語ができるのも平和があってこそと考えるようになりました。
 吉武 ほんとにそうよねぇ。
 菊千代 若い人たちはイラク派兵反対とかいろんな平和運動で座り込みやデモなどを精力的にやるじゃないですか。しかし私はほとんど参加の機会がつくれません。そこで私でもできることはないかと考え出したのが紋付きと“写9運動”です。
 写経のように9条を書き写すのです。用紙を印刷して配り、もう2000枚ほど回収しました。紋付きは3年前に作り、珍しがられて新聞にも載りましたが、季節によって替えるので今は着物2着と羽織3枚に増えました。
 吉武 衣装代が大変ねぇ。
 菊千代 ハイ、9条が「苦」になる「窮状」です(笑い)。楽屋では政治的な話はご法度ですが、私は構わずに紋どころでアピールしています。そのほうが対話を進めやすいのです。でもね。「私は中立だから」と意見をいわない人がいます。
 吉武 中立は政治的であるという判断がないのよね。私はよくPTAで講演しますが、「日教組は政治的だ」と批判した会長の後で私が「今の会長さんのお話はまことに政治的でございました……」とやると、みんなどっと笑っちゃうの。
 菊千代 平和憲法を変えようというのは危険な考えです。逆にいえば、今の法律を守りましようというほうが中立的です。

 


◆もったいない遊休農地


 吉武 憲法改悪をいうのはラジカルですよね。私は昭和6年生まれだから平和を知らない子どもとして育ちました。
 だから戦争に至るまでには様々な法律や政策が実施されたことを身にしみて知っています。そこで「戦争への道を許さない女たちの連絡会」という会をつくりました。戦争を許さないだけではなく「戦争への道を許さない」としたのは、戦争は突然はじまるものではない。いろんな政策・法律をつくって、戦争へ追い込んでいくことを戦前イヤっていうほど体験したからね。
 私が中央大学法学部の非常勤講師をしていたころ、学生の1人に「大人が信用できるようになりました」といわれたことがあります。その若者は私たちがデモや座り込みをやっているのを見て「無傷のままで平和憲法を次世代に引き渡そうと体を張っている先輩たちがこんなにもたくさんいるのかと思ったからです」といいました。
 話題を変えて、食料や農業の問題についてはいかがですか。地方へはよく行きますか。
 菊千代 落語会で農山漁村へも行きますが、減反をさせられている田んぼなんかを見るともったいないという気がします。一方で輸入食料が増えて、それには有害物質が入っているのですから不条理というか…。
 農薬を使えば、その分高くなるというのならわかりますが、使わない作物のほうが高いのはなんで?という感じです。
 私は物産展とかが好きで、よく出かけますが、出品農家としては消費者に選ばれるのを待つよりも例えば、見栄えの悪いものがおいしいんだよと積極的に提起する“選ばせる”アピールが必要じゃないでしようか。
 吉武 キュウリでも曲がったもののほうがおいしいもんね。
 菊千代 私はご飯と野菜が大好きなんですよ。10年前に秋田の知り合いから玄米をどっさりもらったので家庭用の精米機を買いましたが、以来重宝しています。野菜は鍋ものをポン酢で食べるのが好きです。
 吉武 子ども時代はおコメが切符制で、七分づき以上の配給はなく戦争直後は玄米でした。精米機なんてないから都会の家庭はカラの醤油ビンに玄米を入れ、それを竹や木の棒でつついて白米にしていました。そういう体験のある世代は1粒のコメでも大切にしています。
 菊千代 つらい体験ですね。私は2年前まで仲間の持っていた畑に毎年5〜10月まで月に1回は出向いて野菜を作っていました。これでも農作業の体験者ですよ。

 

 

2人との対談を終えて


 韓国料理研究家のジョンキョンハさんと落語家の古今亭菊千代さんは年下の大切な大切な友人なんですよ。
ジョンキョンハさんのことをわたくしはキョンちゃんと呼んで、年齢的な差から言えば親子なのかも知れないけど、でもわたくしにとっては妹みたいな存在なんですよ。友人の料理研究家小林カツ代さんのお誘いで、神楽坂女声合唱団に入ったら、同じアルトのメンバーにキョンちゃんがいたのです。小さいときからピアノをしっかり身につけているキョンちゃんは高音は不得手でも、音程の確かさはピカイチ。それに誠実で温かくて、人の心を包み込むような笑顔にわたくしは惚れ込んでしまったのです。小林カツ代さんのお誘いを素直に受けたおかげで、異業種の年下の友人が沢山出来て大いなる人持ちとなれたのですが、その中でキョンちゃんの存在は大きかった。カツ代さんが病で倒れた後は、副団長として合唱団をまとめきっていましたが、責任感の強い彼女は韓国と日本を行ったり来たりする間を縫って、練習日には必ず顔を見せていましたっけ。今日キョンちゃんとじっくり対談して、キョンちゃんのエネルギーの源がよくよくわかりましたよ。同じ食材をどう料理するかによって、何倍ものエネルギー源になるってこと教えられて、わたくしの食事観ががらりと変わりましたよ。話の内容が明快で、またまた惚れ込んでしまいました。
 古今亭菊千代さんはキョンちゃんとがらりと違う分野の落語家。日本で初めて女の真打ちの落語家。大の護憲派の菊千代さんには、わたくしが世話人を引き受けている「戦争への道を許さないおんなたちの連絡会」の集会や、さまざまなおんなたちの集いに、快くボランティアで、南京玉すだれをやんやの拍手の中で披露してくれていたんですよ。
 昨年、わたくしが言い出しっぺで、「ななにんかい」という朗読と語りの会をスタートさせたんです。格差社会の中で弱者に追い込まれている人たちに「元気出そうよ、少しは怒ろうよ」とのメッセージを文化で送るって言うのが、「ななにんかい」の原点。メンバーは岩崎加根子さん、高田敏江さん、語りの名手の深野弘子さんそれに竹下景子さんにクミコさんに古今亭菊千代さんに座長のわたくし。昨年は山形の庄内で公演をしたのですが、「吉武さんに始めて高座で落語をするのを頼まれた」と彼女独特の人の心を包み込むような笑顔いっぱいで言われたときは、恐縮してしまいました。十年以上のお付き合いになるのに、お願いするのはいつも南京玉すだればっかりだったんですもの。男社会の落語会ではじめて女の真打ちになったのに、ぎすぎすしたところが全くない。そして落語の美味さに改めて驚嘆したものです。対談中も心ふかふか。やっぱり努力して、一芸に秀でた人は人間が練れていると、思わず我が身をふり返ってしまいましたよ。
吉武

(2010.01.29)