農業の足腰を弱らせる国際戦略
TPPの本質は多国間投資協定
◆米国はどんな事態に直面しているのか?
薄井 現在、TPP(環太平洋経済連携協定)の交渉は完全な秘密交渉の形で進められており、情報が限られています。それだけに問題の本質を理解していくことが重要です。
昨年の10月に菅直人総理が「TPP参加検討の方針」を打ち出して以降、早くからTPPの本質的な危険性について指摘されてきた内橋先生は、その中で特に「多国間投資協定」(MAI、注参照)とTPPとの歴史的なつながりという点からTPP問題を捉える重要性を主張されています。
MAI構想は1995〜98年にОECD(経済協力開発機構)で検討され、最終的にはNGОの反対運動やフランス政府が協議から脱退したことなどによって協定としては日の目を見ませんでしたが、現在の国際的なTPPの議論では正に先生の指摘したことが中心的な問題となっています。
反TPP運動を展開する米国や豪州などの労組や市民団体の主張を調べると、TPPの本質的な問題の理解にはMAIとの連動性の認識が非常に必要だということがわかります。
内橋 日本ではいかにも唐突に飛び出してきたTPPですが、こうした多国間の経済・貿易協定が提唱される背景には、いつの場合も、米国による周到なグローバル・ポリシー(世界戦略)があること。表面には容易に現れてこない高度な戦略性を伴っていること。世界情勢が激しく動く中でユニラテラリズム(米国一極集中)もまた大きく揺れていて、それだけに米国もまたいっそう戦略性を強めつつあること。そうしたダイナミズムのなかで米国の対アジア戦略、なかで対中国戦略も刻々と変わる、当然、環太平洋戦略も激しく変わる。したがって日本もまたそれに対応できる思考軸のなかで戦略をたて、基本に据えていく必要がある、そうした認識が最もたいせつなところだと私は思っています。
環太平洋の盟主としての地位が少しでも脅かされることがないよう、常に戦略を模索し続ける米国が、いまどのような新事態に直面しているのか。それらの情勢をよくよく見抜いたうえで、日本の対応策を構築していくことが求められているわけですね。
◆「安保」の次元で議論を
内橋 米国、カナダ、メキシコによる北米自由貿易協定(NAFTA)は少なくとも初期の時代、米国に多大の利益をもたらしました。NAFTAの成功に味を占めてその「汎世界化」を狙ったのがMAI(多国間投資協定)でした。このMAIに込めた米国の意図を詳細に知れば、今回のTPPに込めた米国の狙いも読み解くことができます。「企てて果たせず」に終わったMAIの、しかし、単なる復活でなく、より進化した形で練り上げようとしているのがTPPであるわけですから……。
MAIの本意については後で触れたいと思いますが、もう一つ、とかく日本の経済外交が落ち込みやすい弱点について注意を促しておきたいと思います。
まず、気になるのは、TPP問題の把握が日本では資本や貿易といった経済領域に偏り過ぎているのではないか、ということです。その前は農業分野に偏っていました。日本経団連のTPP認識などがその典型でしょう。
しかし実は、日本は米国の高度な軍事戦略をも含む国家戦略の重要な一環に組み込まれているのです。そこのところが十分に理解されていません。
TPPに関する議論はおよそ収集可能な情報の範囲内では恐らくもう論じ尽くされた感がありますね。菅政権自身も、関係部署の官僚たちも、それほど深く情報を把握しているとは思えない。一方、反対する側も、TPPは日本社会全体の問題であるといいながら、なお、いまだ日米経済関係の領域内でしか問題を論じることができていない。実際には、言葉は経済連携協定でも、TPPは米国の環太平洋戦略の重要な一環なのであり、ブッシュ、オバマ両政権の時代を通じて、国家安全保障に深く根ざしたものだということです。
たとえば1960年の岸信介首相時代に結ばれた日米安保条約の第2条はまさに経済協力の促進をうたったものであり、軍事と経済の戦略は一体でした。TPPもまたしかり。「Trans Pacific Strategic Economic Partnership Agreement(環太平洋戦略的経済連携協定)」と「Strategic」が入っているにもかかわらず、これを普通の経済交流の次元でとらえてしまう。これでは、問題の本質、全体像を見抜くことは難しいのではないでしょうか。TPP推進派、反対派ともに浅いところで論じ合っている……。
◆憲法9条を守るためにも本質理解が不可欠
薄井 米国のグローバル・ポリシーは軍事、外交、経済に及ぶ総合的なものであり、国際情勢の変化とともにダイナミックに変わっていく。TPPもそのなかの一つであり、日本側にはそうした全体への理解が弱いのだ、と。
内橋 たとえば憲法九条は守り通さなければならないと私は信じています。しかし、だからといって米国の世界的な軍事戦略に目をつぶっていていいのかというと、それは全く逆です。九条を守るには、逆に米国の軍事戦略を含む世界の全体を理解してかかることが欠かせないでしょう。であれば、全国の「九条の会」などが、沖縄問題と同様に、なぜTPP問題にも関心を示して頂けないのか、私には不思議なところです。
一例をあげますと、60年安保条約(改定)の際、同条約発効と同時に日本は米国の余剰農産物の引き受け国となった。さまざまな農産物について関税ゼロの輸入自由化を認めてしまい、小麦、大豆はじめ飼料用トウモロコシ、レモン、バナナ、その他、自由化は農作物の広い範囲に及んでしまいました。日本の畑作農業が壊滅していく第一歩です。安保の第2条は両国間の「経済協力の促進」をうたっています。
当時、財界のさる人物はこの自由化を過小評価し、日本農業を一軒の住宅に喩えて「柱の1本くらい抜かれたって、家は潰れたりはせんよ」といいました。しかし、実は、その柱は大黒柱だったわけです。大黒柱を抜かれたら家は潰れてしまう。
米国の場合、相手国の輸入自由化をいつも飼料用穀物から始めます。対韓国でも対中国でも「米国産トウモロコシを輸入すれば畜産農家の競争力が高まる」と持ちかけ、家畜を育てる飼料を安く供給し、飼料の輸入を米国依存へと誘導していきます。
しかし、もともと農業は総合的なもので、「肥料」と「飼料」は循環しているわけです。その地で穀物を育てて家畜の飼料とし、家畜の排泄物は土づくりに使う、といった具合に。ところが輸入飼料への依存は肥料と飼料を切り離す。飼料用穀物を輸入に全面依存することで畑作農業は必ず衰退していく。米国の国際農業戦略です。こうして60年安保以降、日本の飼料用穀物はほぼ完全に輸入に依存するようになってしまい、いまでは全体の穀物自給率そのものも26%。他の先進国では考えられない低水準に固定化されてしまった。
つれて農業という産業そのものの足腰が弱くなっていく。いまになってようやく日米安保条約は、実は軍事だけではなかったんだと日本人は分かってきたところではないでしょうか。むろん、早い時期からこの本質に論及してきた研究者の方々も少なくありませんが……。
◆中国の対米動向から見えてくることは?
薄井 経済だけ、軍事だけ、という、個別的な理解の仕方では、今回のTPP問題にしても米国の意図、戦略を見抜くことは難しいということですね。
内橋 同じことは、米国と中国、それぞれの国の相手国に対する対応や戦略性についてもいえることです。とても一筋縄ではいきません。TPPと米国の関係を中国はどうみているのか。その逆はどうか。意味するところ、なかなか深いものがありますね。
この5月(2011年)初め、ASEAN+3(東南アジア諸国連合と日中韓。米国、オーストラリア、ニュージーランドは入っていない)の財務相会議がハノイで開かれ、例のCMI(チュンマイ・イニシアティブ)をいっそう強化することで合意が成立しました。
CMIというのは、いわばIMF(国際通貨基金)の「ASEAN+3」版に当たるものです。世界的な投機マネーの攻撃に備え、加盟国の通貨が急落したときなど、互いに外貨を融通し合って、危機に瀕した通貨を買い支える。アジア通貨危機の苦い経験から生まれたものです(貸出枠1200億ドル)。
会議では二つの重要な合意がなされています。一つはCMIの制度を「弾力的融資」へと進化させる。つまり通貨危機に見舞われた事後ではなく、事前に潜在的危機に対しても先手を打つことができるようにしようということです。そのため貸出枠も大幅に増額することになりました。
そして第二に、IMFとの連携を強化していくのだ、と。ここが意味深長なところです。
過去、IMFに対するアジア諸国の反発には根深いものがありました。IMF、世界銀行、そして米財務省は、ワシントン・コンセンサス(IMF、世界銀行、米財務省の3機関が根拠地を米ワシントンにおいているところから「ワシントン合意」と呼ばれる)といわれるように、通貨危機に陥った国々への支援策ひとつ、米国の世界戦略に沿ったやり方を通してきたわけです。それが「ビッグバン・アプローチ」と呼ばれるもので、財政破綻や国際収支の危機に陥った発展途上国、新興国に対して、世界銀行、IMFが緊急支援を行う際、援助を受ける国に、援助と引き換えに、条件として急速な「市場メカニズム」の導入を要求してきました。
たとえば国営企業の民営化、「官から民へ」ですね。また規制緩和、そして財政規律の確立など。被支援国は福祉・公共サービス縮減、金融などへの外資参入の自由化など、数々の要求を呑まされてきた。「構造調整プログラム」と呼ばれるものです。これによってアメリカ型市場システムの世界への普遍化を図ってきたわけですね。小泉政権がやったのも同じ市場原理主義を基本に据えた構造改革でした。
◆米中は高等戦略を展開
薄井 ビッグバン・アプローチの前には、米国やIMFが、途上国の貧困層の生活改善を直接の目標にしたベーシック・ヒューマン・ニーズ(基礎生活分野)を重視した人道主義的な支援策を優先しようとした時代もあったのですが、特にアジアの通貨危機以降、構造調整プログラム一辺倒へ傾斜してきたということですね。
内橋 そうですね。ビッグバン・アプローチは結果において、米国発「マネー」の活動舞台を全世界的規模にひろげました。私はマネーの「お狩り場の世界化」と呼んできたのですが・・・。また途上国、新興国の経済システムを米国型の市場システムに構造改革する、というやり方が、リーマンショックという経済危機を一挙に世界に拡大することにもなった。
折りも折り、去年(2010年)秋、ブリュッセルで開かれたASEM(アジア欧州会議)首脳会合で特別声明(経済分野)が採択され、「IMFを改革する」と明記されたわけです。
改革というのは、新興国の出資比率を引き上げ、IMF理事会で米国がもっている「拒否権」を奪おうというのが大きな狙いです。過去の支援方式に歯止めをかけようというわけですね。さしもの「新古典派的開発戦略」に根ざした「ビッグバン・アプローチ」にもいよいよ終焉のときがきたと見ることもできます。
つまり、従来のような手法では、急激な市場システムの導入の結果として、被援助国に大量の失業者が生み出される。また市場に任せれば、効率的な資源配分が実現する、という大義名分に反して、却って多くの国で格差・貧困を輩出させた。謳い文句通り「市場の透明化」が進んでわけでもなかった。世界を同一の制度的基準(ルール)で「市場化する」という米国流儀の破綻が随所に現れてきた、私はそのようにみています。
1997年からのアジア通貨危機では、タイ、インドネシア、韓国などが、IMF支援と引き換えに急進的な構造改革を押しつけられ、これに対する反発、不満はいまも強いものがあります。と同時に、たいせつなことはリーマンショック後の世界経済危機からの回復にとって大いに力になったのが、実は、かつて被支援国だった新興国・途上国の経済発展だった、と。このように流動化し、多極化する世界で、一方的にワシントン・コンセンサスを強要するというやり方はもう通用する時代ではなくなってきたということでしょう。
力を弱めるワシントン・コンセンサスを補強したり、代替できる、次元の高い「世界市場化戦略」が米国には必要になってきている、そういう国際間の力関係の微妙な流動性を、中国は極めて戦略的に見きわめているわけです。TPPに賭ける米国の狙いを知り尽くしたうえで、というべきでしょう。
ですから、さきほども触れましたように、一方で「ASEAN+3」ではIMFとの連携強化を強く打ち出し、他方でそのIMFにおけるヘゲモニーを米国から奪う、という高等戦略に出ました。IMF、世銀、ひいては米国に勝手なことはさせないぞ、と。そういう戦略性が中国のものです。
米国、中国ともに、お互いを自国ルールへの「吸収的等質化」を進めていく、そのことを最終的な戦略としているわけですが、この意味深長なところを、日本外交がどこまで深く掘り下げて認識し、TPP開国論を唱えているのか。そこが問われているわけですね。
◆「協調」と「緊張」のなかで
薄井 世界市場の主導権をめぐって米国と中国の綱の引き合いが強まる中で、IMF、世銀もかなり変わってきたようにみえますね。
内橋 去年(2010年)、世銀のゼーリック総裁が「世界にアメリカ的な政治・経済政策を押しつける『ワシントン・コンセンサス』は終幕を迎えた」と表明して話題になりました。世銀の総裁自らこのように表明するのは異例のことではないでしょうか。世界経済の勢力地図に大きな変化が起こりつつあることが背景にあると思います。
いわば米中両国間のイニシアティブ(覇権)争奪戦の様相ですね。そうした事情を総括するように米中の「G2会議」がワシントンで開かれました。5月(2011年)の「米中・経済対話」ですね。ここでも、いま指摘しましたように米中間の「協調」と「緊張」という二律背反の側面が色濃く出る結果になりました。協調型対決と対決型協調のせめぎ合いとでも呼ぶべきでしょうか。
経済、安全保障の両面で、米中2国は今後、協調関係を深め、両国ともにアジアでの存在感を高めていくのだ、と。ガイトナー米財務長官、王岐山・中国副首相が文書で署名を交わしました。その一方で、米国は「対中輸出規制」を継続する。輸出規制というのは、軍事技術の開発につながるようなハイテク技術の対中輸出を禁止する、という措置です。
中国はそれを緩和するように、と要求してきたのですが、今回も米国は中国の要求を拒否し、禁輸措置は継続することになりました。表面ではにこやかに握手を交わしつつ、内心ではいつでも殴り合いに転じることができる、そういう「協調」と「緊張」併存の姿勢は変えていない。本質のところで利害の相反する両国間において、どのようにTPPは位置づけられているのか。充分な分析を加えたうえでのTPP論でなければならないはずですね。
◆「米国抜きのアジア」に猛烈に反発する米国
薄井 そうしたなかで日本と米国の関係については……。
内橋 例の内部告発サイト「ウィキリークス」が、東京にある米大使館からホワイトハウスに宛てた「外交公電」をリークしました。朝日新聞が入手して大きく報道し、話題になりましたが、たいへんに信憑性の高い情報です。そのなかで、とくに注目されるのは、政権交代したばかりの鳩山政権と米国との間に急速な亀裂が生まれたことが明らかにされたことですね。米国側が日本の新政権に拒否反応を示した理由が2点あり、第1は普天間問題。そして第2が「東アジア共同体」構想でした。
「東アジア共同体」構想には、むろんのこと、米国は含まれていません。米国を入れない東アジアの連携構想となると、たちまち米国はかくも強烈な拒絶反応に出るのか、と認識を新たにさせられた人も多かったのではないでしょうか。ウィキリークスによる公電の中身は、「東アジア共同体については、現実的ではないとのメディアの批判対象となっているにもかかわらず、鳩山はこの考えを周辺諸国の首脳らに投げ続けている」といった主旨のものです。歴史を遡れば、1997年、あのアジア通貨危機の際、当時の宮沢喜一首相が、マネーの攻撃で危機に瀕した国の救済策として「アジア通貨基金」構想を提唱した際も、米国の拒絶反応はものすごく、宮沢案はあっさりと潰されました。
いかに「米国抜きのアジア」に、当の米国が強い拒絶反応を示すか。2010年、キャンベル国務次官補が来日し、翌日訪韓した際も、韓国からクリントン国務長官に宛ててレポートを送った。その内容がやはりウィキリークスによって暴露されていますが、キャンベルは「昨日、日本で小沢一郎に会ったが、彼の路線はアメリカの世界戦略に合わない」と。それでキャンベルは菅と岡田を推奨したという内容になっています。多数の国会議員を引き連れての小沢訪中などが米国の拒否反応を誘ったのでしょう。
政局の裏側で何がうごめいているのか、深い認識が欠かせない。
ここで、強調しておかねばならないことがあります。それは「ASEAN+3」(東南アジア諸国連合と日中韓。米国、オーストラリア、ニュージーランドは入っていない)もまた「ASEAN+6」(ASEAN+3にさらにオーストラリア、ニュージーランド、インドが入っている)も「アメリカ除外」で共通していること。さらにいえば中国イニシアティブで共通していることですね。
そこで、この2つに対抗するスキームとして米国が構想したのがTPPということになります。アメリカ・イニシアティブを可能にできる戦略的経済連携であり、そもそもこれの促進役を担うFTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)それ自身、米国の構想になるものでした。以上だけでも、TPPの由来、そしてなぜ米国がTPPに力を入れるのか、背景事情が明らかになるのではないでしょうか。
◆TPPのルーツを探る
薄井 さきほど先生が指摘された「米国抜きのアジア」に対する米国の拒絶反応こそ、オバマ政権のTPP戦略の重要なポイントだと思います。
カーク米国通商代表は米国議会に対し、「米国が参加していない貿易協定がアジア太平洋地域で大幅に増え、重要な輸出市場で米国のシェアが激減している。TPPによってこの傾向を逆転させる」と、「確約」しています。どこの国であろうと、米国抜きのアジア戦略をリードすることは、米国は許さないという姿勢なのですね。 ところで、軍事戦略を含めた米国の環太平洋戦略には、MAI構想がどのように繋がってきたのでしょうか。
内橋 ここでMAI(多国間投資協定)の概略とその狙いについてもう一度振り返っておくことが大切でしょう。
クリントン政権がアメリカの市民にも周知させないままに、大統領に通商交渉の全権を委ねるファースト・トラック手続きでOECD(経済協力開発機構)において、一挙に協定化してしまおうと試みたものでした。世界一〇〇〇にのぼる市民団体が、これに待ったをかけた。多国間投資協定の本質を見抜いた市民団体がNOという運動を起こし、米国内でも多くの異論反論が噴出したために結局、その後はペンディングになったままという状態でした。
しかし依然として米政権がこれを次なるアメリカの国益戦略として重視していることに変わりはないと伝えられてきました。どういう内容のものなのか。その中身を見れば、アメリカの狙う世界市場化とは何か、よく理解できると思います。
MAIの骨子を私なりに要約したものを示してみたいと思います―。
1:(進出外資への徹底した「内国民待遇」の保障)
協定批准国は進出してくる外国資本にたいして徹底した「内国民待遇」を与えることを義務づけられる。国内企業を対象とする各種の優遇策、公的支援は外国資本に対する差別とみなされる。
2:(投資に対する「絶対的自由」の保障)
投資先と投資条件の自由化、為替・株式・債権など金融商品の完全自由化。土地所有権や天然資源の取得権なども含む。
3:(外国投資家に相手国政府を直接提訴する「損害賠償請求権」を付与)
進出先の社会の法制や制度、またその適用の実態が外資にたいして差別的であり協定違反とみなされた場合、投資家はその国の政府を相手に損害賠償を請求して直接提訴することができる。訴訟の対象には自治体による公共目的の政策なども含まれる。
4:(外国資本への逆差別の奨励)
進出外資を国内企業より優遇する。外資に優遇的条件を与えて進出を促すことは差別ではなくて奨励の対象になる――。
◆日本の法律が通用しない!?
内橋 何をいっているかといえば、どの国も外国資本を、これは結局は欧米資本ということになりますが、差別してはならない、と強調しているわけです。仮に進出してきた外資を差別するような制度、法律があると外資が判断すれば、その国の政府を訴えることができます。当該国の政府に損害賠償を求めて一企業が提訴することができる。それも、訴える側の外資にとってもっとも都合のよい国の裁判所へ持ち込むことができる、というものです。
では、外資にたいして差別だと認められる案件とはどういうものか。
たとえば不況になると日本では制度金融というものを行います。東京都なら東京都、あるいは鳥取県なら鳥取県、それぞれの地方自治体が地域産業への救済策を実施する。地域は地域経済が消滅しては成り立たないからです。雇用を守るために町工場であったり規模の小さい中小企業にたいして、信用保証枠を与えて中小零細企業に融資を行う。そうすることで危機に直面している中小企業に経済変動、経済危機を乗り越えさせようとします。
これがMAIでは外資に対する差別とみなされるのです。WTO(世界貿易機関)のレナード・ルッジェーロ事務局長(当時)は「MAIは統合された世界経済の憲法である」と定義づけているくらいですから。多国間投資協定が成立して、それを日本が批准させられると日本は日本でありながら日本の法律を含むあらゆる制度慣習が通用しないという事態になるわけです。
伝統産業を保護育成しようとしても、たとえば丹後縮緬の復活育成を助成しようとしてもできなくなる。つまり、徹底した垣根なき世界市場化の中に組み込まれ、独自の日本型システムが全くといっていいほど維持できなくなる。
このようにMAIルールでみられる特徴はそのままTPPの神髄として生きています。
薄井 1997年6月、経団連は「多国間投資協定交渉に対する意見」の中で、「MAIは、海外投資の保護、自由化、投資に関わる紛争処理手続きに関する国際的なルールの策定を通じて国際的な投資を促進・円滑化する。ルールが明確であって各国政府による恣意的なルールの解釈や運用がなされない」と高く評価しています。生産拠点を海外へ移転しようとする日本企業が投資先の政府による差別的な扱いを受けることがMAIによって無くなることを経団連は強く期待していたわけです。
経団連が今回のTPP参加検討をいち早く支持した背景には、TPPでのMAI構想実現という狙いがあったと考えています。対外投資拡大による失業者増に労働組合が反発するのを恐れる経団連は、TPPと農業を結びつけてこの狙いを覆い隠すという世論誘導を仕掛けたと見ています。
米国や豪州などで反TPP運動を進める労働組合や市民団体はこの対外投資問題に最も反発しています。具体的には、投資を受け入れるホスト国で外国企業が差別され不利益を被った場合、投資企業はホスト国の政府を提訴して賠償金を請求できるような仕掛けがTPPに導入されるなら、国内産業の空洞化と失業者の増大がさらに深刻化する。それに対外投資の拡大は熱帯雨林破壊などの環境悪化をもたらし、安価な農産物の輸入増で食の安全を脅かす。反TPP運動はこうした危機感を共有化して進められています。
◆米豪でも反TPP運動 失業者増大などに危機感
薄井 つまり米国や豪州では、企業の海外投資活動をいっそう促進させるのか、逆にこれを抑制するのかというせめぎ合いこそがTPPの本質的な問題だと認識されているのです。
しかし日本では、農業を問題にすることによって労働組合や市民団体にこのことが知らされない。TPPと農業を結びつけるなら、穀物メジャーの投資増大は食料供給の安定化をもたらすのか、日本国民の食料主権を外国資本に売り渡すことにならないのか、という視点からも議論されるべきだと思います。
対外投資とTPPの問題を考える場合、米国の通商戦略の変遷を振り返る必要があると考えています。1986〜95年のガット・ウルグアイ・ラウンドで米国は農産物などの輸出競争力の回復のために「モノの貿易の自由化」を日本やEUに強く要求しました。しかし、WTО体制になっても競争力は回復せず、「サービス貿易と対外投資」の重視へと通商政策の軸足が移ってきました。
米国では、カナダ・メキシコとの北米自由貿易協定(NAFTA)がこの重要な転換点となり、こうした流れが豪州や中南米諸国とのFTA締結、そしてMAI構想に及んで、現在のTPPへつながって来たのではないか、と考えています。
◆日米資本の利害一致
内橋 日本資本も米国資本も対外債権の確保で利害が一致しています。米国の輸出力が衰弱してきたという捉え方は一面ありますが、実際のモノづくりは海外でやらせる方向へ誘導させてきたのだから、それも当然です。
すでにオフショアで外へ出てしまった主な超国家企業の投資、製造拠点、生産技術のノウハウ(知的所有権)は3つとも全て外にあるわけですから、例えば紛争が起こったりして、その権益を奪われることは米国にとって非常に怖いわけです。
これは日本も同じです。日本は今、世界最大の債権国ですから…。日米の資本にとって怖いのはたくさんの資本が進出している中国です。
中国の社会主義市場経済のルールの下で突然法律がつくられて資金や資産を凍結されたり、場合によっては全部召し上げられたりするような事態の突発が怖いわけです。
こうしたことをMAIルールで調整しておくわけです。接収とか封鎖の場合は最も有利な裁判所に提訴できるという条項がMAIには含まれていました。米国内での裁判が有利だと考えれば米国内から中国政府を提訴して損害賠償を請求できるわけです。こうした内容は日本の資本にも利益であり、債権大国日本と米国の利益は共通です。
(後編につづく)