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JAの活動:農協があってよかった-命と暮らしと地域を守るために

【現地レポート・JAおきなわ(沖縄県)】サトウキビは島を守り島は国境を守る(1)2018年1月11日

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・普天間朝重・JAおきなわ代表理事専務
・戦後の食料生産担った「農業組合」
・伸長する農協解体策「キャラウェイ旋風」

 沖縄県におけるJA運動の特徴を大雑把にいえば、(1)戦後の一時期米国占領下にあったこと、(2)県単一JAであること、(3)多くの離島を抱えていること、といえるだろう。与えられたテーマは主に(3)であるが、この三つはそれぞれに関連することなので、以下、順を追って説明していきたい(普天間朝重)。

米国占領下のJAの闘い

◆戦後の食料生産担った「農業組合」

農連を抜き打ち検査(「農林漁業中央金庫史」から) 1945年8月に第2次世界大戦が終了し、72年5月に本土復帰するまでの27年間、沖縄は米国の占領下にあった。このため、JA組織も本土とは異なった制度のもとで、しかも幾度となく組織改編しながら進むことになるが、そこでは地元資本との軋轢や米国民政府(沖縄に設置された米国の統治機構)、琉球政府とのバトルが繰り広げられることになる。
 終戦直後(1945年8月)の沖縄では戦時中に分散していた住民を元の居住地に戻すことから始められ、それは翌年の46年4月にほぼ終了する。米軍は同年4月に「沖縄に関する軍政府経済政策について」を発表し、これに基づき経済活動が再開されることになるが、中心となるのは当然食料生産であり、その中核を担ったのが「農業組合」である。軍政府は当該経済政策とほぼ同時に「市町村農業組合規約準則」を策定し、各市町村に農業組合を、地区ごと(本島、奄美、宮古、八重山)に連合会(農連)を設立することになった。農業組合は購買、販売事業のほか信用事業も併せもつ総合事業である。

(写真)農連を抜き打ち検査(「農林漁業中央金庫史」から)

 
 その後経済活動が一定の安定を取り戻すと農協組織も法的な裏付けが必要ということで1951年5月、「琉球協同組合法」が軍布令によって制定された。ただしここで注視しなければならないのが、時の琉球農林省総裁が全琉組合長会議のあいさつで発した言葉の
 「旧組合(農業組合)がガリオア物資の配給を一手に担っているという特権に馴れて、生産活動を実践しえなかったという点についての批判は、各方面からなされたのであります。新協同組合の発足に当って過去の事例を不問にすることなく、十分なる自己批判をなしたうえ、出発されるよう希望するものであります」
 という部分である。このころ琉球農連に対する独占的取り扱いの禁止を強く迫っていたのであり、農協に自己批判を求めている。51年1月の新聞記事では「農連、水連一応解体か/"独占禁止"に新機構で対応」との見出しで、内容は、「民政府指令第2号で農業組合、水産組合及び連合会の農水産資材器具の独占禁止が発表されたが...指令の要旨は、(1)現在取り扱っている資材器具の独占的配給者としての権限を廃止すること、(2)これまで法的に認められている組合連合会の独占法を廃止すること、(3)但しこの指令は組合及び連合会の現在の運営法、配給事業を禁止するものではないこと、の三項に要約されるようである」と掲載している。
 終戦直後の混乱時には農業組合を利用して配給を行っていたが、経済が復興し、民間企業が一定の成長を見せてくると農業組合の独占は許さないということなのであろう。
 さらにここでの問題は、農協が信用事業を兼営することができず、したがって、地域に農協と信用協同組合が併存することになり、特に信用協同組合はその当時貯金量がまだまだ少なく資金が不足する中で開店休業を余儀なくされる組合も相当数あったようである。
 このため1952年12月、政府出資90%、組合出資10%で「協同組合中央金庫」(58年に「農林漁業中央金庫」に改組)が発足し、信協に対する資金手当てを行うことになった。さらに56年9月には信用事業と経済事業の兼営を認める(布令ではなく)民立法としての「協同組合法」が公布され、ようやく本土の農協法に準じる形が出来上がってきた。

 

◆伸長する農協解体策「キャラウェイ旋風」

普天間朝重・JAおきなわ代表理事専務 しかし(だからというべきか)、農協の事業も組織の安定とともに急激に伸びていった。例えば農連の剰余金を見ると、61年が1万ドル、62年が4万ドル、63年には36万ドルに膨らんでいる。当時の経済界の広報誌「月刊沖縄経済界」64年新年号では「"マンモス農連"のジレンマ-分身、組織替えに動く」として農連を「マンモス」と比喩し、その解体を望んでいる。こうした状況を背景に61年2月に就任したポール・W・キャラウェイ高等弁務官(米国民政府のトップ)は63年7月、軍会計監査部を通して突然農連を抜き打ち検査した。この検査について「月刊沖縄経済界」では「農連の事業が年々異常に拡大して、農連の本来の姿を脱した企業的性格が強くなったため、それに不満を持つ一部の財界、実業界人らがキャラウェイ高等弁務官に直訴した」と記している。 
 一方、琉球政府の方でも当時の経済局長が「本土の貿易自由化政策によって、沖縄の農業は急速な合理化に迫られている。こうした対外的な経済情勢に対応するために、従来の農協政策もかえなければならない。糖業、パイナップル、畜産などいずれも合理化のためには事業上の統合が必要である。しかし農連の事業は株式とは組織が違うため統合、合併がうまくいかない。そのため(農連事業の)株式への移行が必要」と圧力をかけてきた。
 これに対し農連では「琉球農連の存在理由と今後の運営に対する希望」とのタイトルで18項目にわたって反論する。抜粋すると、(1)農連が事業を行うことによって、農村経済にマイナスを与えている証拠はない、(2)農連の事業内容、分量が拡大し成長してきていることは、組合員が積極的に協力しているからである、(3)農連、農協の購買品、例えば肥料が割高で農民に不利益を与えているという言辞は、中傷のためのものか、事実に対する無理解に基づくものと思われ、実際には農連の肥料は割安で流通している、(4)砂糖、パイン産業の合理化は当然のことであろうが、これによって農民が不利益をこうむり犠牲になってはいけない。...農連事業を一挙に解体することは、主管局の策としては当を得ていない」というものであるが、キャラウェイ高等弁務官は全く意に介さず今度は自ら各地域で直接単協役員に圧力をかけ、さらには農連役員を背任罪で訴える(後に無罪の判決)など強硬な態度をみせたため、農連ではやむなく製糖、パイン、畜産、市場などの事業の株式移行を総会で決議するとともに、役員は総辞職することとなった。この一連の事件を沖縄では「キャラウェイ旋風」と呼んでいる。
 こうした騒動とは裏腹に1965年8月、佐藤首相が来沖して「沖縄の祖国復帰なくして戦後は終わらない」という声明を発表して67年11月には佐藤・ジョンソン共同声明で沖縄の本土復帰が確認され、72年に正式に返還されることになった。この間に農協組織でも本土との一体化に向けて作業を開始。中央会、共済連の設立や農連の経済連への移行、中金の信連への移行などの手続きが順次行われていった。

(写真)普天間朝重・JAおきなわ代表理事専務

 

◆バブルの崩壊と県単一JA誕生

JAおきなわ 闘いの歴史 本土復帰後、ようやく県内農協組織も安定軌道に乗りかけた1990年1月、日本経済のバブルが崩壊した。その後、深刻なデフレ経済へと突入していくが、この間、大手金融機関や証券会社、大手企業等、戦後の日本経済を支えてきたわが国を代表する企業の倒産が相次いでいく。このため、政府は96年4月、ペイオフを凍結。その後のさらなる金融危機を背景に金融庁(旧大蔵省)では98年早期是正措置を発令。抵触すれば厳しい措置が待っているだけに本県JAの経営改善が急がれることになった。
 金融情勢が落ち着きを取り戻してくると政府では2002年4月にペイオフを解禁すると発表。これに備えて本県JAグループでは合併によりJAの経営基盤を強化しようと98年2月、第15回JA沖縄大会で「5JA構想」を決議。
 5JA構想の実現に向けてはJAの不良債権処理が不可欠であり、県をはじめJA中央会ではJAの不良債権の実態調査に乗り出したが、調査の結果県内JAには約300億円の不良債権が存在することが判明。これを処理すると平成12年度の決算において県内28JAのうち、広域合併4JAを含む9JAが債務超過に陥ることが確実視されることになった。このため、JAグループでは全国支援を受けたうえで県単一JA合併に向けて動き出すことになり、2001年3月開催の第16回JA沖縄大会において単一JA合併構想を決議し、02年4月1日、JAおきなわが誕生した。米国占領期に本土とは異なった歩みを見せた沖縄県のJA組織だが、ここでもまた全国とは異なる組織形態として歩み始めることになる。

 

この記事の続きは、【現地レポート・JAおきなわ(沖縄県)】サトウキビは島を守り島は国境を守る(2)をお読み下さい。

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