JAの活動:今こそ農業界の事業承継を
【事業承継で農業青年組織トップ座談会】経営者世代から後継者世代へ確実なバトンパスを(前編)2018年3月1日
【出席者】
・飯野芳彦全国農協青年組織協議会会長
・宮治勇輔NPO法人農家のこせがれネットワーク代表理事
・倉橋幸嗣全国農業青年クラブ連絡協議会会長
・司会:村山正全国農業協同組合連合会(JA全農)耕種総合対策部TAC推進課
この農業界最大のテーマである事業承継を解決に導いていくためには、組織の枠を超え、その解決策を議論し、社会運動として取り組んでいく必要がある。そこで、実際に事業承継の経験を経て、当事者として深い理解と問題意識をもつ農業者団体等のトップに事業承継に対する思いやこれからのあり方などを語り合ってもらい、農業界における事業承継の機運醸成を狙う。
※文中の親と子は、祖父と孫、経営者と従業員などと置き換えてご覧下さい。
◆相続と事業承継は根本的に違う
村山 農業の事業承継に対するお考え方やその重要性について、まず飯野会長からお聞かせください。飯野会長のお宅も事業承継について大変なご苦労があったと聞いています。
飯野 個人的な話からで恐縮ですが、私は祖父を25年前に、5年前に父を亡くし、2回の相続を経験しています。私の基本的な考えは、相続による事業承継は絶対にダメだということです。また当然ながら親子間での話し合いを徹底的に進めることです。それらを大前提に話をすると、農業技術の承継では、私の場合、父親と15年間くらい一緒にやってきたので、その点はあまり問題ありませんでした。しかし、農業経営、特に資産管理という面では相当苦労しました。その部分での承継は残念ながらスムーズにはいきませんでした。極端な話、固定資産税さえ納めていれば、資産管理はできているという勘違いをずっとしてきたのです。路線価の変化や宅地と農地の面積比率などの管理は非常に杜撰であったと反省しています。
それから地域や親戚などとの人間関係の承継もきわめて大事な点です。農業は地域に根付かなければできない営みです。地域や親戚などとも上手にお付き合いできなければ大きな信頼を得ることは難しい。
また農業者が地域のリーダーであることも農業の事業承継では大切なことだと思います。それは産地をどう守るかということであり、農業の事業承継において、きわめて大切な視点だと思っています。
もう一つは、Uターンを促すような事業承継ができれば理想的ですね。いまであれば、お父さんが高い技術を持っています。経営も安定しています。だとしたら、Uターンして農業を承継してみませんか。そういう提案ができれば素晴らしいことだと思います
(写真)左から倉橋氏、飯野氏、宮治氏、村山氏
◆「帰る決心」固めた3Kという言葉
村山 宮治さんは、大学を卒業された後、いったんは大手人材サービス企業に就職され、その後に、お父さまの経営される養豚農場を継がれたという経歴をお持ちですが、そのようなご苦労も含めて事業承継について語って下さい。
宮治 養豚業が盛んな神奈川県藤沢市で、もともとは野菜農家だった祖父が養豚を始めたのが「みやじ豚」のスタートです。父の代で養豚専業農家となりました。株式会社化して12年目になります。2001年に大学を卒業して就職。4年3か月勤めた後、そこを辞めました。最初は「後を継ぐ」考えは全く持っていませんでした。ただし起業家精神だけは持ち合わせていて、あれこれいろいろ勉強しているうちに、ある時、農業の魅力と可能性に気づいたのです。
そこで自分なりの農業の定義を考えてみました。それは「農業とは生産から始まり、そこから生み出された農畜産物をお客さまの口にお届けするまでのプロセスを農家が一貫してプロデュースする仕事だ」と。そういうふうに考えると、これはメチャメチャ面白い仕事だと思いました。
私は常日頃から、農業は良い意味での3Kだと言っています。よく3Kとは「きつい、汚い、危険」などと言われますが、その本質は全く逆で、農業は「格好良くて、感動があって、稼げる」産業だというのが、私の志の原点であり、夢でもあるのです。
この言葉が閃いたときに、本当の意味で「帰る決心」が固まりました。ただ、当初は父に全く相手にもされませんでしたが、ある日、父に「どうやらコイツは本気で言っているらしい」というふうに思ってもらえるようになり、ようやくお墨付きを与えられたのです。ところが私が帰る2か月前には、すでに弟が帰ってきていました(笑)。
じつは父は地域の農業者と共同経営で養豚をしていて、そっちがメインで、実家の養豚は片手間にやっていたんです。その片手間の方に兄弟2人が入ってきたので、父は当初オロオロしてしまい、かなり動揺していましたね。
父はそうでしたが、私たち兄弟はどこ吹く風で、特に弟はもうその頃から、どっぷりと生産現場に足を突っ込んでいました。それで私はプロデュースに徹して頑張ろうと思ったんです。
その後、紆余曲折を経ながら、新しい流通経路を開拓していきました。そして協力してくださる問屋さんをようやく見つけることができました。うちの豚が特定の問屋にストックされていて、お客さんからうちが注文を受けて連絡すると、その問屋さんが発送してくれるという、いまの「みやじ豚」のビジネスモデルの原型ができました。
現在、頭数は750頭ほどで、全国平均の半分程度です。そこから美味しい豚を育て、みやじ豚というブランド化を図りつつ、バーベキュー事業をしながら、徐々に認知度をあげていき、オンラインショップや飲食店に卸すという形で、ビジネスを展開しているところです。
◆「継ぐ決心」をし農業を学ぶ
村山 倉橋さんはどういう経緯で承継するようになったのでしょうか。
倉橋 我が家は三代にわたって農業を営んできました。農業を始めることになった経緯は、戦後の農地解放で、小作人が作った作物は小作人が売れるように時代が変わったからです。祖父は自分の農地を守るためには、農業を続けなくてはならないという思いをもっていました。そこから複合経営、たとえばカイコとか養鶏、養豚、ヤギなどに取り組んできました。やがて、観葉植物というように、時代とともに変化していきました。そして、洋ランの栽培に力を注ぎ、そこから倉橋園芸としての本格的なスタートを切ることになります。
祖父から父に代がかわるとき、ひとつの転機がありました。父は25、26歳あたりで継いだのですが、祖父が市議会議員になってしまった関係で、その時は半ば強制的に継がされたようで、父としては不本意な部分もきっとあったと想像します。ただ、祖父の代に始まったシンビジウムが軌道に乗り始め、父はそれをしっかりと受け継ぐ格好になりました。
ところで、私は幼少のころから農業を手伝っていたわけではありませんでした。普通科高校を卒業したのですが、ある年の親戚一同が集まる席で、お前は長男として継ぐ気があるのかと、問われたことがずっと脳裏にあって、心のどこかにその言葉が引っかかっていました。やがて自然発生的に家業を継ぐという意識が芽生え始めました。そこで愛知県立農業大学校に入学し、そこで、私と同じ世代の仲間たちもたくさんでき、農業を本格的に学び始めました。やがて、海外派遣に出てみないかという話が父の知り合いの方からあって、あまり深く考えないまま、米国に2年間、農業の研修に参加しました。帰国後、いまから10年ほど前に父を継ぐという前提で就農することになりました。
研修中は、まだ分からないところばかりで大変、苦労しました。と当時に、人に仕えるのは、私には向いていないという実感がありました。自分で考えて、自分のやりたい方向でやったらきっと面白いだろうなと思いました。そこはいまも私のベースになっています。研修中に父に手紙を書いて「継ぐ」意思を伝えました。先代の強みを時代に合わせて磨くことを重視しています。
(写真)倉橋幸嗣・全国農業青年クラブ連絡協議会会長
村山 宮治さん、法人化をする上で留意されたのはどういう点でしたか。
宮治 事業承継を行う上で「法人化」はとても良いきっかけになると思っています。法人化すると、例えばすぐに役員になれる。それがひとつの責任感を生み出す土壌となる。それだけでも身が引き締まる思いがするわけです。やはり何といっても大事なのは「心構え」なんですね。
もう一つ、法人化することのメリットは資産が「見える化」できる点です。個人経営的な場合、たとえ親が経営していても、持っている資産がどれくらいあるのか、どのくらいの価値をもっているのか。倅の立場ではなかなか見えてこない。ところが、法人化することによって、豚舎やその他の設備を物納によって出資金としてあげると、それが資産計上される。それで会社の資産が見える化できます。それは将来を継ぐ立場からすると、きわめて有益な情報です。
あとは、経理も引き継ぐと、会社の資金など実際のお金の流れもだんだんと分かってくるようになる。つまり、法人化すると会計がガラス張りになります。法人化していないと、極端な話、親の通帳を見せてもらわないと、何も分からない。
事業承継は、後継者が先代の事業のどこに強みを見出し、どこに可能性や価値を感じるのか。そしてそれをどうやって時代に即応した形で磨いていけるか。安易な姿勢では簡単に事業承継などできるわけがないというのが、私の経験にもとづく持論です。後継者がそうしたところを見極めて自分なりのビジネスモデルを築き上げていけるのか。そこまでいって、はじめて事業承継は完結するのだと思っています。
事業承継がうまく進まないところは、たいていの場合、後継者に問題がある。どこか親に甘えている場合が多いのです。逆からいうと、親はまだまだまだコイツは当事者感覚がうすくて、すぐに責任転嫁する。経営者としてはまだまだ甘い。だから継がせるのはまだ早いということになる。また継がれる側、つまり親の居場所もきちんと残してあげることも忘れてはいません。
みやじ豚の場合でいうと、父の生産技術はもともと素晴らしかったのですが、私が着目したのは、生産技術ではなくて、むしろ味だったんです。味が良かった。そこに力点を置くことでブランド化を果たせたと思います。
「おやじの作った美味しいみやじ豚をもっともっと知ってもらいたい」というのが、私の事業承継の最大のスタートポイントです。それは必ずしも父の思いとは違うものだったかもしれません。ただ、事業承継の本質は一種のM&Aだと思います。いわば「乗っ取り」なんです。ということは、乗っ取る方が主体的に動かないと乗っ取れないわけです(笑)。
もちろん、農業ですから、地域との関わり合いという視点もおろそかにはできないので、そういうものを融合していきながら、農業界ならではの事業承継モデルをJAのTACさんと一緒に作っていけたら良いなと考えています。
余談ですが、いま「家業イノベーションラボ」という新しいプロジェクトを立ち上げているところです。これは農業とかの枠を超えて、実家がなにがしらの事業を営んでいるところ。つまり家業ですね。コンセプトはこせがれネットワークと同じで、家業を継ぐことは格好いいとか、魅力や可能性に満ちているということを中高生を相手に伝えることもしています。その中で、農業を家業としている若い方に、しっかりと私たちの思いが伝われば良いなと思っています。
続きは、【事業承継で農業青年組織トップ座談会】経営者世代から後継者世代へ確実なバトンパスを(後編)をお読みください。
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