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【寄稿 白石正彦・東京農業大学名誉教授】協同組合運動の闘いの源流から学ぶ(後編)2018年1月11日

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・日本の魁は幽学の先祖株
・ドイツでは農村信用組合
・大原幽学と先祖株組合の原則
・二宮尊徳と報徳社の原則

3.日本の協同組合運動の闘いの源流
 
◆大原幽学と先祖株組合の原則
 
白石正彦・東京農業大学名誉教授 大原幽学(1797(寛政9)年~1858(安政5)年)は尾張藩の武士の家に生まれ、遍歴を経て、1834(天保5)年から1858(安政5)年まで、北総の地である千葉県香取郡干潟町(旧長部村)(現在の旭市長部)に落ち着きます。しかし、当時の長部村は荒廃状態にありました。このため、大原幽学は性学(天の理の内在にあって、倫理的には万物平等の純粋自然な善にいたる万人が平等にもつ人間として本来持つべき本性の学)について彼から学びたいと希望する門人(道人)に同じ友として教示し、その人数は3000人にも及んだとのことです。
 1852年2月に領主清水家は、大原幽学のリーダーシップによる先祖株組合の結成(当初、11名の組合員が家族一同連署を以て加入を申出て、1838(天保9)年に創設)、農業生産と生活に関わる物資の共同購入、農業基盤づくりや稲作技術の移植等の長部村復興を賞賛して、長部村の名主・伊兵衛に銀3枚、組頭・源兵衛、惣右衛門に銀1枚ずつ、百姓代・太兵衛、小前一同(村役人)以外の農民全体にも褒賞を与えるとともに、その旨を領内の村々にも知らせて模範とすべきとしています。先祖株組合の原則には、"加入者は所有地のうち金5両に相当する耕地あるいは現金を出資し合い、そこから得た利益を無期限に積み立てること" "用地・積立の管理運営人は組合員の合意の上で決定すること" "一軒分の積立金が百両以上になったとき、組合員の相談でその半分を救済にあて、残りは子孫のために積み立てておくこと" 等が明示されています。
 加えて、大原幽学の組織づくりで注目されるのは、最初に村の仲間の信頼、融和関係をつくる教育活動に取り組み、その中で納得し、モラルを高めて、その次に技術を教え普及させた点です。
 村人がお金をだして教育センターとしての「性学道場改心楼」を創設し、領主はこれを評価していました。一方で、大原幽学は当時の関東一円を取り締まっている幕府から、江戸での6年にわたる訴訟を起こされ、最終的には100日の押し込めと先祖株組合の解散、改心楼の取り壊しを命じられ、1858(安政5)年に自害しました。

 

◆二宮尊徳と報徳社の原則

 二宮金次郎(後に、二宮尊徳)は、1787(天明7)年に神奈川県小田原市栢山(かやま、旧相模国足柄上郡栢山村)に生まれ、14歳で父を、16歳で母を失いましたが、農業と勉学に努め、農地を復元、拡大して24歳で一家再興を行いました。
 小田原藩主から同家の支族旗本宇津氏の領地、野州桜町(現栃木県芳賀郡)の復興を命じられ,加えて小田原藩士に文政5年1822年3月に肩書きは"名主役格"として取り立てられ、一家をあげて赴任し、10年にして第1期仕法が終わり、さらに15年まで継続しました。尊徳は、農家・農村の再生のため第1に報徳金融・村中百姓間の融通・報徳金の仕組みを導入し、一方、領主には農家・農村の再生に至るまでは年貢の削減という分度を迫る「桜町仕法」で、苦難を乗り越え成果を上げました
 1842(天保13)年56歳のときに、小田原藩に仕法発業中、幕府御普請役格に登用され、真岡(現栃木県芳賀郡)代官領内諸村に新田開拓の仕法を行い、別に相馬藩(現福島県相馬郡)復興の仕法を指導して成果を上げました。1846(弘化3)年に『日光神領再興策富国方法書』60巻を大成し、1853(嘉永6)年病を冒して日光奉行所に赴任して仕法を起こしましたが、業を嫡子弥太郎(御普請役見習)に託して1856(安政3)年10月20日に没しました。
 尊徳の原則については、1843(天保14)年には二宮尊徳によって主導された「小田原仕法組合(小田原報徳社)」が、至誠(真理(まこと)が"天道"で、これを誠にする組織的行動が"人道")、勤労(人間的な、主体的な覚悟の定まった、自覚した勤労)、分度(将来にそなえる意味での貯蓄と、社会奉仕のための貯蓄)、推譲(自譲・他譲というように、貯蓄を「分内「善積金」」と「分外「土台金」」とに分ける)の4つの道徳と経済を結びつけ、加入金の積み立て、報徳金の名称の貯蓄と運用などに取り組んだ点が注目されます。すなわち、報徳生活の基本は身の寸法を知った分度にあり、至誠と勤労を活動様式として推譲を目的とするということです。
 その後、二宮尊徳の門弟等のリーダーシップによる報徳運動は1847(弘化4)年に、安居院(あぐい)庄七(1789~1863年)と弟の浅田(朝田)勇次郎の指導により浜松(現・浜松市)で「下石田報徳社」(東海以西で最初、日本で三番目の「報徳社」)が結成され、1848(嘉永元)年に遠江の倉(くら)真(み)村(現・掛川市)で「乙(おと)星(ぼし)耕地報徳社」(後の「牛岡組報徳社」で、「大日本報徳社」の中心)が結成されるなど、全国に波及し1000社に達し、明治中期までの内発的な農村信用組合づくりや1900(明治33)年の産業組合法の制定以降の産業組合づくり、戦後の北海道等の農協・漁協(野付漁協等)にも「道徳と経済」を結びつけた運営方式を根付かせ影響力は広がっています

 

4.今後の日本の協同組合運動の展開方向
 
 今後の日本の協同組合運動には、4つの源流に貫いている協同組合らしい変えてはならない伝統を再発見しつつ、一方で市場経済の不公正さ、IOT・人工知能などの急激な技術・情報システムの激変を協同組合事業方式(地産地消・福祉・文化など小さな協同活動と多様な営農面、生活面の高度な事業経営システム)に組み替え、創造する協同組合の役割発揮への開拓者精神をもち、教育重視の担い手の育成運動の本格化を期待します。

 

この記事の前半は、【寄稿 白石正彦・東京農業大学名誉教授】協同組合運動の闘いの源流から学ぶ(前編)をお読み下さい。

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