農政:平成28年度農業白書
平成28年度農業白書を読む 【横浜国立大学・大妻女子大学名誉教授 田代 洋一】2017年5月23日
白書の正式名称は「食料・農業・農村の動向」である。しかし、最近の白書は動向分析よりも政策PR集の感もしないではない。国民が期待する白書とは何か、田代教授が指摘する。
◆今年の白書の組み立て
白書は冒頭に二本の特集、農業競争力強化プログラムの紹介と2015年農林業センサス分析を組んだ。次いで第1章食料、第2章農業、第3章農村の構成は変わらないが、第4章は東日本大震災から大規模災害全体に広げた。各章の頭にはそれぞれトピックスを一つずつ置いている。1章は2020年東京オリパラ向け、2章はAI・IoT・ロボット技術、3章は中山間地域農業、4章は自然災害からの早期復旧だ。
◆農業競争力強化で農業所得は増えるか(特集1)
まず特集の農業競争力強化プログラムの紹介だが、これは白書第Ⅰ部がやることなのか。いうまでもなく白書は第Ⅰ部動向と第Ⅱ部施策からなる。第Ⅰ部で動向に潜む問題点・課題をえぐり出し、第Ⅱ部でそれに対する施策を論じるという構えである。それに従えば農業競争力強化プログラムは第Ⅱ部で扱えば済むことだろう。
敢えて第Ⅰ部で論じるなら、まず何に対する「競争力」(輸入農産物、輸出競争力)なのかを明確にし、それに耐えうるものかを証明する必要がある。第二に、同プログラムで生産資材価格が全般的に引き下げられれば農産物価格も下がる。その下で法の目的である農業所得を増大させるには販売量を増やすしかない。そこで国内・海外市場における農産物需要にどれだけの価格弾力性があるのか(価格が下がれば需要が増大する)の分析こそ白書がやるべきことだ。
◆農林業センサスでは変化の把握を(特集2)
農林業センサスの分析は一応は第Ⅰ部の領域といえる。白書はビジネスサイズ(販売額規模)で北海道3000万円、府県5000万円以上の経営体数が伸びており、それらは農協以外への出荷が多く、また法人経営体の販売額シェアが27%を占めるに至ったとする。また農業生産関連事業(6次産業化)に取り組む経営体は3.7万(販売農家の3%)だが、うち関連事業販売額1000万円以上の農家はたった6%にもかかわらず売上げの66%を占める上層集中を強調する。
しかしそこには次のような問題がある。実はセンサス本体では農業生産関連事業に取り組んだ経営体は25万に及ぶ。それが3.7万に縮むのは、最多である「消費者に直売」を除いて集計したからである。一般農家も取り組める直売をカットすれば取り組む農家は一挙に萎む。そのことの是非自体は検討されるべきだが、この直売を入れない数字でも、農業生産関連事業に取り組んだ経営体数は、2010年から15年にかけて36%も減っている。その取り組みの困難な原因究明こそ白書の課題だ。
農業労働力については常雇と新規就農者数の増大、とくに49歳以下の増大に注目している。しかしこの5年間に49歳以下は5.5%増だが、50歳以上は17%増だ(図1)。つまり依然として定年帰農が主流であり、その積極的な位置づけが問われる。
農地については2016年以降の農地中間管理機構の集積効果が強調されている。白書は荒廃農地は横ばいだとするが、これは実はセンサスの数字ではない。センサスが捉えるのは耕作放棄地だが、それはこの5年間に7%増え、同面積率は11%と初めて二桁台になった。横ばいどころかゆゆしい事態なのである。
以上要するに、現在の構造ではなく変化に眼を転じると、次々と厳しい現実が出てくる。たとえば販売農家数の減少が史上最大となり、農業後継者のいる農家割合も急減したが特集はそういう点には触れない。
わずかに明るいのは、5ha以上で上層に行くほど稲単一経営から複合経営の移行が増えている点だが、そのことと飼料米の奨励はどう関連するのか。今や飼料米が「転作」の決め手となっているが、土地利用的には単作化を意味し、複合経営化に反する。
◆通商交渉の立て直しを(第1章)
食料自給率は39%にとどまっているが、食料自給力は相変わらず低下傾向にある。自給力は農地面積×単収であり、農地面積の減少が主因である。そのことは先の耕作放棄地の増大に関連する。
白書は世界の穀物需給について「逼迫も懸念」を2回、「逼迫が懸念」も各2回述べている。日本語で「も」か「が」かは、ニュアンスが違う。「も」なら「ありうる」だが、「が」だと懸念は強まる。白書はどっちを言いたいのか。
通商交渉では、アメリカがTPPから離脱するなかで「我が国がTPPにおいて持っている求心力を生かしながら、今後どのようなことができるかを関係国と議論」としているが、「求心力」とは何か分からない。TPPが漂流するなかで日欧EPAやRCEPについてもっと踏み込み、通商交渉の立て直しを提言すべきだ。
食料消費に関連して最近のエンゲル係数の上昇に触れ、その原因を高齢化や共稼ぎ世帯の増大に求めているが、図2をみれば、分母の消費支出(可処分所得)の減少に拠ることがはっきりしている。
◆薄味になった農業分析(第2章)
農業については特集で既に触れたため薄味になっている。農地中間管理機構の本格稼働、青年就農給付金の農業次世代人材投資資金への改称、女性農業者の活躍、収入保険制度の導入、機構借り入れの農地について所有者に同意・費用負担を求めない新たな土地改良制度の導入等の政策論とともに、作目別の動向に触れている。
指定生乳団体に委託した酪農家以外にも補給金を支払う制度への変更にも触れているが、それで真に需給調整が果たせるのかの分析が白書の任務だろう。地球温暖化対策に係るパリ協定にも触れているが、トランプの脱退騒ぎには及んでいない。エコファーマーの減少も指摘し、その原因を高齢化と販売価格への反映がないことに求めている。実は農林業センサスでは環境保全型農業に取り組んだ農家が2005年から半減している。その要因分析が欠かせない。
最後にこの間の農政最大の焦点となった農協と農業委員会については、法改正の事実に触れるだけで、自己改革等の真摯な取り組みがほとんど無視されている。
◆事例がおもしろい農村の章(第3章)
昨年の目玉だった田園回帰や鳥獣害への対応、地域資源の活用等に触れているが、総じて新味に乏しい。そもそも年々変化する領域ではない。実はこの章は囲み記事の事例が実におもしろい。こんな創意工夫があるのかと驚かされる。第3章は事例集にした方がいいのではないか。
◆災害列島における農協活動(第4章)
熊本地震、台風、集中豪雨、鳥取地震、大雪害、そして東日本大震災からの復旧・復興にふれている。
自然災害ではその頻発と、それに対して農協組織や農事組合法人等が組織力・協同力を活かした獅子奮迅の取り組みをしていることが活写されている。農協は第2章では無視されたに近かったが、本章では農協が危機時における地域・農業のライフラインたることが証明されている。
東日本大震災・原発事故被災地で農地の83%が営農再開にこぎ着け、放射能の基準値を超えた農畜産物はゼロになったが、なお営農再開、風評払拭への取り組みが必要なことが指摘されている。この章も事例紹介が活きている。
白書では収入保険の導入に伴い農業共済が任意制になるとされているが、今年の白書が強調する災害列島・日本においてそれで大丈夫かが問われよう。
◆「紛らわしい用語について」
白書Ⅰ部はその末尾に「用語の解説」を載せているが、今年は「紛らわしい用語」を付け加えた。見開き2ページだが実に便利である。前述の「荒廃農地」と「耕作放棄地」の違いもぜひ付け加えるべきである。この「紛らわしい用語」欄の登場が今年の白書の新機軸、と言ったら失礼かもしれないが、親切であるに越したことはない。さらに分析鋭く、事例豊富で、かつ国民に親しみやすい白書を目指し続けて欲しい。(図)図1(『白書』本文の図表 特2-19 P41)、図2(『白書』本文の図表1-4-4 p106)
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