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農政:自給率38% どうするのか?この国のかたち -食料安全保障と農業協同組合の役割

あの時代 農家も飢えていた(1)【上山信一・農林中金元副理事長】2018年10月17日

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 食べ物がない状態とはどういうものか。太平洋戦争中と戦後しばらくの日本は、国民の多くは“飢餓状態”にあったと言っても過言ではない。飽食の時代の今日は想像もできないことだが、あの時代がいつくるか、だれも予測できない。鳥取県の農村でありながら、食べ物に苦労した経験を持つ、上山信一氏(90)(農林中金元副理事長)に「あの時代」のことを聞いた。

 戦中・戦後、国民は飢餓状態にありました。食べ物に対する思いをもう少し多くの人に分かって欲しい。水と空気と食べ物は生きていく上でなくてはならないものですが、水と空気は自然にありますが、食べ物は誰かが作らなければなりません。どんな時でも、どんなことがあっても、必ず誰かに作ってもらわないと国民の命は守れません。
 このことを国民全体が課題として持たないで農業を語っても、肝心なところが抜けてしまいます。

 

◆バッタもタニシも

上山信一・農林中金元副理事長 食料自給率が低いということは、つまり命を外国に預けることになります。このことを真剣に考える必要があります。戦中、戦後しばらくは、本当に食べ物がありませんでした。私の家は小地主で1haほど自作していましたが、農家でも本当に食べ物がありませんでした。ダイコンの葉、サツマイモの茎はもちろん、道を歩いていても路傍やあぜ道にあるハコベやタンポポなど、食べられる野草を探していました。田んぼのバッタも重要なタンパク源でタニシは大変なごちそうでした。
 米は作っても商品ではなく、市場経済から隔離され、国民共有のものとして強制的に供出させられました。そうしないと値段が高騰し、普通の人は食べられなくなります。食べ物で苦労した経験のない今の人にはなかなか分からず、頭では分かっても、具体的にイメージできないでしょう。もうあのような戦争は起こらない、国際化の時代で外国から買えばいい、などの考えが根っ子にあるように思います。
 国の安全保障で自衛隊や憲法改正が議論されますが、国民の命を守る食べ物のことをほったらかしにして安全保障は論じられません。我田引水ではなくそう思います。戦後、アメリカの食料援助がないと、国民の多くが餓死するしかなかったと思います。食べ物を命の糧として国の基本におかなければなりません。
 我々はそういう認識を持ち、JAが核になって、国民的課題として農業や国民の食料をどう守るか、本気で考えないと、今まで通りにはいかないのではないかと、特に最近、生産現場で思うようになりました。政治家も都会の人も食料をめぐる環境が、最近大きく変わっているのを感じていないように見えます。一つは地球環境の変化で、特に温暖化とそれに伴う異常気象を実感しています。

(写真)上山信一・農林中金元副理事長

 

◆農家に作ってもらう

 温暖化は本当に急速に進んでいます。10年前とは全然違い、これが生態系を変えていることを生産現場では実感します。私の田舎の鳥取では高温障害で10年前までコシヒカリの一等米比率が8割くらいあったものが、今は5割どころか、3割の時もあります。鳥取県ではリンゴの栽培ができなくなりました。豪雨・台風など異常な気象変化も農業に大きな影響を及ぼします。フロンガスによるオゾン層の破壊で紫外線が増え、人体に悪い影響を与えると言われますが、植物にも影響がないはずはないでしょう。植物を安全に育て、人が安心して生きていける環境が壊れているのではないでしょうか。
 一方で、世界の人口は今世紀中ごろには100億人になると言われています。発展途上国が豊かになって食生活が高度になり、食料消費が急速に増えています。食料生産は、かつて緑の革命と言われて伸びましたが、1980年ごろから生産が停滞し、食べ物はいつでもあるという基盤が崩れてきました。
 大規模農業のアメリカでは、地下水の枯渇、表土流出で地下水利用の農業は限界に近づいていると聞きます。生産・消費面で農業を巡る環境が大きく変わってきています。いままでのように食料は外国にまかせて、ということにはなりません。100年というより10年、20年先の心配として考えておかなければなりません。
 食料の重要さに対する国民の理解について、日本はヨーロッパの先進国とかなりかけ離れているように思います。イギリスにしてもドイツにしても、自分たちの命は自分たちで守るという意識が、国民全体に行き渡っています。
 農産物は基本的に市場原理とは違います。と言うより市場原理の上に位置するものだと思います。なぜなら、食べ物は国民の命であり、それはどのようなことがあっても、必ず誰かに作ってもらわなければならないからです。誰に作ってもらい、安定的に確保するかは、市場経済とは別に考えなければなりません。我々JAも、それをベースに国民的な課題として、農業・食料の問題に取り組むべきではないでしょうか。
 米は一年一作です。その年不作だと、1年先でないと次の収穫はありません。そして一度生産基盤が崩れると、その回復には数年かかります。その間、命の保証はありません。農業は過保護という人もいますがはたしてそうでしょうか。過保護なら後継者がいないというようなことはないはずです。また株式会社化すべきだと言いますが、日本の自然条件から、資本制農業は成り立たないと思います。
 これまで蓄積してきた家族経営の基盤を維持しながら、安定的に作ってもらえる仕組みづくりを、国民全体の問題として考えなければなりません。過保護とか、効率化とか言って資本主義に振り回され、肝心なところを見落としています。本当にこれでいいのでしょうか。

 

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