農政:自給率38% どうするのか?この国のかたち -食料安全保障と農業協同組合の役割
食料安全保障に日本農政はどう向き合うべきか(2)【谷口信和・東京大学名誉教授】2018年10月26日
3.問われる真摯な食料安全保障の政策体系
そこで、このような食料自給率向上をめぐる農政の揺らぎが繰り返し生まれる背景にある「食料安全保障」の政策体系の問題点について整理してみたい。
(上の図をクリックすると大きな画像が表示されます。)
図は2015年の基本計画の参考資料として提示された「食料安全保障・食料自給率・食料供給力の関係」を一部省略して掲げたものである。
これによれば、第1に、食料自給率は食料の安定供給の確保(基本法第2条第2項)に関わって、基本法には明示されていない平時における食料安全保障の水準を示す指標と位置づけられている。
しかし、第2に、不測時における食料安全保障(基本法第19条)の枠内になぜか「総合的な食料安全保障の確立」が掲げられ、その内容として不測事態への対応方針として定められた「緊急事態食料安全保障指針」(2012年9月)に加え、次期基本計画策定時に提示する課題として、(1)国内生産や輸入の安定的確保に影響を与える可能性のある国内外のリスクの検証、(2)具体的な不測の事態を想定した対応手順の取りまとめ、(3)主要穀物(米、小麦、飼料穀物)についての適正水準の備蓄を確保することが指摘され、基本計画の「参考資料」に検討結果が示されている。このうち、(1)と(3)は「不測時に備えて平時に実施すべき対策」=平時における食料安全保障に属するが、(2)は「不測時における対応手順」=不測時における食料安全保障対策を平時に準備しておこうというものであるから、「緊急事態食料安全保障指針」と(1)~(3)を合わせたものは「総合的な食料安全保障の確立」の内容を示すものだといってよい。だが、これは明らかに「不測時における食料安全保障」の枠内には収まらない。
したがって、第3に、「総合的な食料安全保障の確立」をむりやり「不測時における食料安全保障」の枠内に押し込めたのは、食料の安定供給の確保=平時における食料安全補償と食料自給率の対応関係に準じて、不測時における食料安全保障と「わが国の農林水産業が有する食料の潜在的生産能力」を示す「食料自給力指標」を対置するために他ならない。換言すれば食料自給力指標は「不測時における食料安全保障」に関わる食料の潜在的な生産能力を指し示す地位を与えられているのである。
以上のような錯綜した関係となったのは、2015年基本計画が一方では民主党政権時の2010年基本計画の「総合的な食料安全保障」の考え方を継承しながらも、説明としては基本法の「不測時における食料安全保障」に依拠しているからである。2010年基本計画は基本法には規定されていない「総合的な食料安全保障」論を採用した。2015年基本計画が「総合的な食料安全保障」論を援用するならば、基本法の食料安全保障の規定を修正・拡充すべしという問題提起をすることが必要だったのである。
第4に、このような継ぎはぎ的な食料安全保障論の問題点は食料自給力指標にも影を落としている。不測時、すなわち飼料を含む農産物輸入が完全に途絶した状態を前提としながら、肥料・農薬・化石燃料・種子・農業用水・農業機械が十分に確保されているとして、作物の単収実績を適用した食料自給力の試算は余り意味がない。むしろ、それらの生産資材の平時における在庫水準などを吟味して、現実的な食料供給力水準をこそ問題提起すべきだろう。
4.求められる食料安全保障の課題
それでは課題は何か。第1に、現行基本法は食料安全保障政策としては不測時に偏った不備な体系であると認め、平時と不測時にまたがる総合的な食料安全保障の観点から改正すべきである。農水省のホームページに掲げられている食料安全保障に関する膨大な資料の多くは不測時の対策の検討に費やされているものの、自給率低下に歯止めがかけられない状況ではそれらの実効性もおぼつかない。その際、自給率向上を実現しうる国内農業生産拡大のためには、15~20年程度の長期的な政策的安定性を担保するように法律に基づいた生産誘導の政策体系を構築することが不可欠である。2014年度から意欲的な奨励策が採用された飼料用米がわずか5年目の18年産で作付面積を減少させるようなことでは自給率向上の大事業は到底実現できない。
第2に、平時における食料安全保障としては自給率向上が第一級の課題であることを再確認し、自給率向上に資するあらゆる可能性を活用する視点を明確にすべきである。たとえば、耕作放棄地の復旧・活用にあたっては牛のほかに山羊や羊の放牧も含め、農業者だけでなく多様な地域住民の参加をも視野に入れた政策の構築が必要である。また、市民農園を始めとする多様な自給的性格の強い土地利用の実態を把握し、平時におけるそれらの積極的な奨励が不足時の食料供給に果たす役割を適切に評価し、位置づけるべきである。
第3に、備蓄を米・麦・飼料穀物に限定するのではなく、その範囲を農作物から食料にまで広げるとともに、ヨーロッパ諸国に比べて決して多いとはいえない備蓄量水準の再検討を行うべきである。さらに、備蓄の対象に農業生産資材をも含めるとともに、未利用の原野や林間放牧できる森林、耕作放棄地の賦存状態についても適切な把握と利用可能性についての検討が必要である。こうした対策には当然多額の費用がかかるから、広く国民的な議論に訴えることが重要であろう。
今日では食料安全保障を単独で考えるのではなく、(1)国家安全保障(狭義の国防=国土の安全保障)、(2)社会保障(国民=人の安全保障)、(3)食料安全保障(生存の安全保障)という三つの安全保障の一環として体系的に捉える視点も重要であろう。その際、農業は国土保全で(1)に、食料供給で(3)に、国民の農業参加を通じたQOL(生活の質)確保で(2)に関係することになる。したがって、国連レベルで提唱されている食料主権論は食農主権論に拡充されて再構築されるべきではないかと思われる。
農業団体は自己改革運動の一環として以上のような歴史的課題に果敢にチャレンジすることが求められている。
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