なぜ直接支払いに代えたのか。それは民主党の経済政策の根幹に関わっている。すなわち、日本は今後も輸出立国でゆくしかない、そのために自由貿易を進める、農産物も例外にしない、というのである。その結果、農産物の価格が下がれば、国内で対策をとればよい、という。
その対策が所得補償制度という直接支払いなのだ。こうした制度はWTOで容認され、実際にヨーロッパで採用されている。だから問題はないという。
だが、そうだろうか。前々稿で述べたように、米のばあい輸入を自由化すれば、米価は3000円(以下すべて玄米60kgあたり)に下がることを覚悟しておかねばならない。一方、昨年の暮れには補償基準単価が1万4000円に決まった。だから、補償金は差額の1万1000円になる。
つまり農家の所得の約8割(1万1000円÷1万4000円)を補償金が占めることになる。補償金の財源は、もちろん税金である。
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いますぐに、こうした事態になるという訳ではないが、しかし、その方向に向かおうとしている。
こうした制度は肉食社会ならともかく、草食社会のわが国の農業者は受け入れないだろう。農業者でない国民も容認しないだろう。やがて、この制度は財源不足という理由も重なって破綻するに違いない。その結果、低米価だけが残り、農政の最重要課題である食糧自給率の向上は望めなくなる。
だから、食糧自給率の向上をとるか、それとも食糧を含めた自由貿易をとるか、の二者択一の選択しかない。観念的な市場原理主義者は、自由貿易をとるだろう。現実を見据え、食糧の安全保障という国益の方が大事だ、と考える人は自給率の向上をとるだろう。
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民主党は、食糧を含む自由貿易の促進を至上な政策課題にしているようだが、それでよいのか。
ここには、市場競争で勝つことを絶対視する古い経済思想と、それができない農業構造は遅れているとする干乾びた歴史観がある。市場は不完全なもので、農業には市場で評価できない多面的な価値があることを認めない農業観がある。ここには、自由貿易という独善的な教義に侵され、現状分析の能力を失い、思考停止に陥った知性の退廃がある。その結果、国益を損なっている。
そうではなくて、食糧安保という国益の追求を自由貿易よりも上位の政策課題にすべきではないか。心豊かな農村社会の復活こそを至上の政策課題に据えるべきだろう。
そうして、WTO交渉でわが国が永年に亘って主張し続けてきた、農業の多面的価値の主張と、各国の多様な農業の共存という主張を愚直に貫き、米の輸入自由化は断固として拒否すべきではないか。それと同時に、米価下落をくい止めるための確固とした国内政策を立てるべきだろう。
観念論ではなく、現実を直視した検討が急務である。バラマキ批判や選挙対策という水準の批判の検討ではなく、それを遥かに超えた国益水準の検討を期待したい。そうして多くの国民が民主党農政に対して抱いている、最大の疑念を払拭してほしいものだ。
(前回 鳩山と小沢の違い)
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