原発事故についても同様である。自然科学者なら、事故の確率を小さくすることだけが対策になる。こんどの報告書も、そうした考えに基づいている。だが、これには限界がある。というよりも、こうした考えが、こんどの大事故をおこした原因だ、ともいえる。
社会科学者なら、たとえば、放射性物質を大気中に大量に出てしまったばあい、社会はどのような対策をしておけばいいか、を防災計画の中心に据えるだろう。
そうした防災計画に、これまでの科学的認識を反省した自然科学者なら、同意するだろう。そこから新しい認識に基づく防災学が出発するだろう。
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実際に、こんどの原発事故では、放射性セシウムを大気中に大量に出してしまった。この事故に対して社会は有効な対処ができないでいる。
除染はしているが、放射能の総量は、長い期間にわたって減衰することがない。だから、薄めるか、濃縮して捨てるしかない。しかし、捨てる場所がない。これは、社会の問題である。だから社会科学者の研究対象である。
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放射能の総量は、長いあいだ減衰させることが出来ないのだから、防災計画を立てようがない。だから、原発計画をやめるしかない。原発の再開など、もってのほか、というしかない。
いま、防災学の自然科学者が向かうべき道は、2つしかない。放射能を消滅させる科学と技術を作り出すか、それができないなら、その技術が出来上がるまでの間、原発を止めることである。それは永久に出来上がらないかもしれない。それなら、永久に原発をやめるしかない。
いまこそ、自然科学者と社会科学者とが協同して、新しい防災学を打ち立てるときである。そうして、新しい科学的認識に基づく新しい防災対策を世に問うべきである。そうすれば、こんどの大震災と原発事故で地に堕ちた科学への信頼を、再び取り戻すことができるだろう。
(前回 大新聞が農業を報道する浅薄な姿勢)
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