民主党は、戸別所得補償制度を公助に純化させようと考えているわけではない。公助による「倫理の欠如」を強く危惧するからである。公助には、怠け者がトクをし、働き者がソンをしてはならない、という倫理の欠如になりやすい。
一方、自民党も自助に純化させようと考えているわけではない。それを突き詰めると保険になって、市場の力に強く依存することになるからである。市場原理主義になってしまうからである。その上、日本の保険市場は、アメリカ籍のグローバル資本が虎視眈々と狙っている。
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民主党は公助を強調し、自民党は自助を強調する、という対立は変わらないが、しかし、両党とも妥協の余地がある。
両党とも、問題は、まず自分で解決しなさい、つまり自助で、それが出来なければ、みんなで解決しなさい、つまり協助で、それでも出来なければ政府に要求しなさい、つまり公助だ、というのである。この図式は両党とも変わらない。
だから、妥協しやすい。どこを妥協点にするか。それは国民が決める。
妥協点は公助と自助の重さのおきかたで決まる、という考えは分かりやすい。だが、あまりにも漫画的である。それでいいのか。
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これに対して、協同組合の考えは、はじめから協助で問題の解決をはかるという考えである。ひとりで問題を抱え込んで思い悩むことはない。「万人は一人のために」という標語は、協同組合の大原則を表している。この点でみると、自助を強調することは、協同組合の考えと違う。
さらに、自助を強調することは、経済的な弱者の切捨てにつながりかねない。リスク回避のばあい、自助は保険を意味する。それが制度に組み込まれると、経済的な強者は保険金を払えるが、弱者は払えない。
しかも、日本の保険市場は、アメリカの対日要求で、その開放を強く求められている分野である。そして、日本は妥協を重ねてきた分野である。
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日本の農業に保険を持ち込んで、アメリカの餌食にしてはならない。そうした危険があることを、自民党は、もっと警戒しなければならない。
一方、民主党が公助を強調しすぎると、協助の助け合い精神と逆行することになりかねない。
両党は、公助か自助かではなく、公助の支えのもとでの協助を妥協点にしなければならない。
(前々回 TPP問題で経団連に忠誠を誓った首相)
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