じつは、14日の決定も多くの国民を満足させるものではなかった。その内容は、「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する。」というものだった。これでは、2039年にゼロを実現すればいいことになる。だから、2030年に原発依存割合は15%程度になるだろう。つまり、実質的には、2030年に15%にする、というものである。
この15%は、当初から政府が世論を誘導したかった目標だった。それさえも、閣議で決定できずに後退した。
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後退した理由は、3点ある。
1点目は、19日に原子力規制委員会を発足させたので、この委員会で安全性を確保できる、というものである。だから、急いでゼロにしないで、「安全な」原発は順次再稼動させる、という。
だが、この委員会は原子力ムラの復活だとして、多くの国民からの反対が強い。しかも国会の休会中に、こっそりと首相が発足させてしまった、といういわくつきの委員会である。
しかも、この委員会の責任で、今後の原発の再稼動を決めるという。原発再稼動は、いまや最大の政治問題なのに、その決定をこの委員会に丸投げするという。これこそ、政治が決めるべきことではないか。再稼動の責任は委員会に押し付けるのではなく、政治が担うべきである。野田内閣の官僚的な無責任は、ここに極まった。
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2点目は、原子力に代わる太陽熱などの新エネルギーは、供給が不安定だしコストが高い、だから原発を残せというものである。 これは、主に財界の主張である。
しかし多くの国民は、それを承知の上で、原発ゼロを要求している。政治は、国民と財界のどちらを採るのか。
経営者の団体である経団連も、私利私欲だけを追求するのではなく、原発ゼロの国民の声を金科玉条にして、その社会的責任を果たさねばならない。
不安定な供給を安定させる技術を開発するのは、経営者の責任だし、発電コストを下げるのも経営者の責任である。その責任が果たせないのなら、経営から去るしかない。
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3点目は、アメリカからの圧力である。
日本が原発ゼロ政策に転換することは、アメリカの世界核戦略に重大な影響を及ぼすし、アメリカの原子力産業に甚大な不利益をもたらす。つまり、アメリカの国益に副わない、という訳である。だから、クリントン長官が、自ら野田首相に対して直接に懸念を表した。
22日の東京新聞が、第1面のトップ記事でスッパ抜いたことだが、アメリカは日本が原発ゼロを閣議決定しないように圧力をかけてきたという。次の政権をも拘束するような閣議決定をするな、という圧力である。こうした圧力に怯えて後退したようだ。
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以前、この欄で述べたことだが、いまの日本の政治を動かしているのは、アメリカを後ろ盾にした財界と、金曜デモに集まるような多くの国民である。両者の対峙のもとで、政治が決まっている。こんどの後退劇が、それを証明した。間接民主主義が、その限界を露呈した、といっていい。
明日は、経団連を取り囲む「特大」な抗議デモが予定されている。
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いまや民主党は、財界とアメリカに限りなく近づき、すり寄っている。そして、国民から遠く離れた位置にいる。
国民が民主党に近づくことを期待しているのだろう。だが、国民は福島を忘れないかぎり、このような民主党に近づくことはない。そして、国民は決して福島を忘れない。
民主党は、国民から決定的に見放される前に反省しなければならない。そして、3年前の政権交代の時に公約の表紙を飾った「国民の生活が第一」に立ち帰らねばならない。
(前回 党首選のTPP語録)
(前々回 党首選の争点はTPPと原発)
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