未曾有の東日本大震災は、われわれに何を問いかけているか。被災地、被災者の皆さんはどういう実情に置かれているか、そしてそこからどう立ち上がろうとしているか。そこから出されている強烈な要望は何か。また、心と力を一体にした協同の力はいかに発揮されているか。被災地の宮城、岩手、そして原発放射能にも悩まされている福島を足で歩き、その実情を一般の報道で知らされていない深部に入り込み特集することにした。その中から得られた展望は「JAは地域の生命線」ということであった(JFも含む)。その視点に立って、全国のJAの皆さんも、被災地への多彩な連帯と支援をお願いしたい。
日本という国は世界で最も豊かな自然に恵まれた国であるが同時に災害の多い国でもある。
物理学者であり著名な随筆家でもあった寺田寅彦に次のような一文がある。
「うまいぐあいに世界的に有名なタイフーンのいつも通る道筋に平行して島弧が長く延長しているので、たいていの台風はひっかかるような仕掛けにできている。また、大陸塊の縁辺のちぎれの上に乗っかって前には深い海溝を控えているおかげで、地震や火山の多いことは、まず世界じゅうの大概の地方にひけは取らないつもりである。その上に、冬のモンスーンは火事をあおり、春の不連続線は山火事をたきつけ、夏の山水美はまさしく雷雨の醸成に適し、秋の野分は稲の花時刈り入れ時をねらって来るようである。日本人を日本人にしたのは、実は学校でも文部省でもなくて、神代から今日まで根気よく続けられてきたこの災害教育であったかもしれない」(『寺田寅彦随筆集』第五巻、岩波文庫)。
私の若い時に読んだこの一文、とりわけ、「日本人を日本人にしたのは、実は学校でも文部省でもなくて、神代から今日まで根気よく続けられてきたこの災害教育であったかもしれない」というくだりが、どういうわけか頭の片隅のどこかに残っていて、あらためて書庫から引っ張り出し、読み直して引用してみたのである。
まさしく、広い視野に立った観点から日本列島の特質をとらえ、とりわけ空間軸、時間軸という基本視点に立って、日本列島の特質、日本の自然、日本の農漁業、農漁村の特質を短い文章の中でえぐり出していることに威嘆する。
それと同時に、「災害教育」という一語の中に、繰り返し痛めつけられ、大きな被害を被ってきたにもかかわらず、日本人の祖先は神代から現代に至るまでそれに打ちひしがれることなく、たびたび立ち上がってきたのだ。しっかり頑張ろうではないか、という声援を寺田寅彦は送っているように思えてならない。さらに「災害教育」の中味にはふれていないが、恐らく、「共助」の精神、「協同」の精神が神代から現在に至るまで伝えられてきているのだと説いているように思えてならない。
「JAは地域の生命線」を合言葉に、ネットワークを生かし今こそ全力を挙げて頑張ろうではないか。
(写真)
4月16日・岩手県の宮古駅前広場(写真)。この日、市内がボランティア150人によって(財)花と緑の農芸財団や釧路市の造園会社などから贈られた1万株余の花々で飾られた(写真提供・岩手県宮古市)
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東京大学名誉教授・JC総研研究所長