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JAの活動:いま伝えておきたい-私の農協運動-

【須藤 正敏・JA東京中央会会長に聞く】新たな都市農業をめざして2018年6月11日

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・青年部運動がバネに
・農業振興あってのJA
・JA全中副会長

 農業協同組合が発足して70年。今の農協組織があるのも、多くの農協運動の先人たちの艱難辛苦の結果である。最も困難な時代に農協を支えた先人の多くが、第一線を去ろうとしている。その経験をそのまま埋もれさせていいのか。生き方を含め、次世代へ伝えておきたい。(このシリーズでは、現役、OBを問わず、地域や全国で、活躍されているJAのみなさんにお聞きし、随時掲載します)

◆青年部でムシロ旗

須藤正敏・JA東京中央会・各連合会共通会長 植木の生産業を営む農家の長男に生まれ、家業を継ぐものとして育ちました。所有する農地が多かったので、自分が相続するとき大変だろうなと思っていたこともあり、法律のことを知っていた方がいいと考え、大学は法政大学の法学部を選びました。
 学生生活が始まった昭和42年当時は、学園紛争が激しかったころで、まともな授業はできませんでしたが、経済学者で元総長の大内兵衛先生や、当時、総長だった政治学者の中村哲先生などの影響もあって、大学はリベラルな気風があり、それが頭の隅にあったのでしょう。先祖からの家業である農業が続けられなくなるのは理不尽ではないかとの気持ちが、その後の、宅地並み課税反対の青年部活動の原点になったと思っています。
 卒業すると、当然のようにすぐ就農しました。しかし当時は、都市計画法による宅地並み課税で、多大な相続税が発生することから、農地を売却して支払わざるを得ないため、このまま農業を続けられるのだろうかという不安から、農業に身が入りませんでした。
 その悩みを、地域の「青年団」の先輩に打ち明けたところ、宅地並み課税に反対している農協の青年部に入ることを勧められました。それが、私の農協青年部との係わりの始まりです。
 都内でムシロ旗を掲げ、青年部の仲間とともに、当時としては激しい宅地並み課税反対の運動を行いました。その結果、平成4年に、30年間営農を続けることで固定資産税・相続税等の税務上のメリットを受けることのできる生産緑地法ができ、その指定を受けるよう運動してきました。
 そのころ全青協(全国農協青年組織協議会)の会長は、都市における体験農場の先駆者となり、現在、練馬区で体験農園を運営している白石好孝さんで、当時、宅地並み課税の反対運動をした仲間とのつながりは、今も続いています。農業をやりながらの反対運動で、大変忙しかった事を記憶していますが、こうした経験が今の私の大きな財産になっています。

 

◆農業あってのJA

seri1806110803.jpg 平成7年に父が亡くなり、数億円の相続税が発生しましたが、兄弟たちの理解や農協のアドバイスも受け、なんとかクリアできました。平成10年に三鷹市、武蔵野市、小金井市、国分寺市、小平市の5農協が合併して現在のJA東京むさしが誕生し、支部長(農家組合長)を務め、11年に非常勤理事になって農協の運営に携わることになりました。
 1期理事を務めた後、代表監事、平成17年から専務になりましたが、そのとき農協で不祥事があり、その処理に苦労しました。あらためて農協の無限責任の厳しさを味わいました。焦げ付いた部分は、最終的には総代会で損金処理を認めてもらいましたが、そのとき普段の組合員との繋がりの大切さを知りました。
 合併して各地区を回って感じたことは、JA三鷹市の経験から、農協のやるべきことはあくまで地域の農業振興でなければならないということでした。農業振興をしっかりやっている農協は求心力があります。青(壮)年部や女性部など、生産者が農業を中心に一本にまとまっているところは、農協に対する理解度が違います。
 平成20年に組合長になって最初に取り組んだのは、営農を続けるための固定資産税・相続税対策です。私自身がそれに苦労したので資産管理事業に力を入れました。今は、各農協ともマイナス金利で貯金や共済の資金運用が厳しくなっていますが、当農協は組合員や職員に迷惑をかけることもなく経営できているのも、農業振興あってのことだと思っています。
 と言うのも、JA東京むさしの農業の中心となっている三鷹市は、都市政策のなかに農業を不可欠なものとして位置付け、農業振興に力を入れています。JA三鷹市の時代から農業予算の執行を農協に委託する仕組みができています。
 農政のアウトソーシングで、組合員は、農業のことであれば市役所の窓口でなく、農協ですべて対応できるようになっています。全国でも珍しい仕組みで、これが組合員の農協への信頼を高めています。
 JA三鷹市のとき、野菜の共選をしっかりやりました。ブロッコリー、カリフラワー、ナスの栽培を呼びかけ、昭和50年ころ、全国に先駆けて直売所を作りました。最初は植木中心でしたが、いまは全支店にファーマーズマーケットを拡大し、新鮮な地元の野菜や花きの直売所になっています。
 農業体験のできる農業公園もあり、組合員以外の人にも、東京の農業を理解していただくための取り組みを広げています。地元産で新鮮なことと、肥培管理を徹底しているため品質がよく、大変好評です。都市農業でもここまでできるということを知っていただきたい。
 学校給食への地元野菜の供給にもしっかり取り組んでいます。JA自己改革の一環として、新宿区や台東区など、全く農業のない区の学校にも広げています。また新宿駅近くにつくった「JA東京アグリパーク」は東京だけでなく、全国の農協が利用しています。開設2年目で、今後も一層充実させていきます。これも、大消費地にある東京の農協の重要な役割です。
生産緑地法は、指定期間の30年となっており、その期限が4年後です。
 その後、緑地の面積や農業施設の設置要件などが緩和されています。平成4年の生産緑地法制定のときは、指定を受けるまでの期間が短かったため、迷った農家もありましたが、いまは30年のしばりは延長もでき、やる気があれば農業を続けられます。また農地の貸し借りもできるので、生産緑地制度を活用して体験農業や貸し農園など、都市農業の役割を果たしていくよう運動していきたい。

(写真)東京都青壮年組織協議会で(前列左から2人目)

 

◆「思い」を次世代へ

JA東京グループ農協大会で(平成23年、JA東京中央会副会長として) わが家には宝永年間(1704~1711年)の墓があり、それ以前から営々と農業を続けてきました。それを続けることは農家として大事だと思っています。農水省のキャリア官僚などと話すと、農地を売り払って都内の1等地を買った方がいいのではないかと言いますが、それでも地下足袋を履いて農作業をしています。それは、口では言えない価値があるからです。
 幸い、私が農協の代表監事になったとき、サラリーマンであった長男が農業やると言ってくれました。次男も、その子どもも就農し、いま3人で植木業をやっています。口では言いませんが、みんな農業への思いがあり、私の農業への気持ちを理解してくれているのだなと思っています。
 若い人には、われわれの世代と違う視点で農業をみて欲しいですね。というのも、これから大事なことは、地域に必要とされる農業だということです。東京都では行政も都市における農業の重要性、その社会的使命をよく認識しています。これは、農作業体験や憩いの場、災害のときの避難場所などを提供する「空間」としての農業で、われわれ世代の職業として「業」とは違いがあるように思います。
 長男も、農協の三鷹地区の青年部活動をしていますが、われわれの時代との違いは他業態の人とつきあっているということです。地元の野菜を使ったお菓子屋さんなど商工会のみなさんや、地元の国際基督教大、東京農工大と連携して、キャンパスの落ち葉や乗馬クラブの馬糞、わが家の剪定枝を使った堆肥づくりなどをやっています。それを三鷹市の農家が応援しているのです。それをわれわれ世代は、最初は、多少のジェラシーを込めてみていましたが、改めて、若い人にこうしたつきあいの大切さを教えられた思いです。

(写真)JA東京グループ農協大会で(平成23年、JA東京中央会副会長として)

 

◆食料自給の運動を

JA東京中央会・各連合会共通会長 須藤 正敏氏(中央左)と小池百合子東京都知事 政府の「農協改革」には、大きな危機感を持っています。平成28年に、JA東京中央会会長として「このままでいいのか~座して死を待つわけにはいかない~」のアピールを出しましたが、政府から、農協は存在価値がないように言われ、黙ってはおれないという気持ちからです。
 農民は戦後の食糧難のとき、国民の食を守ってきました。農民があらためて団結して、農という産業をもう一回しっかり位置付けるため、われわれは襟を正して訴え続けなければなりません。特に食料安全保障は、近隣諸国との親密な関係を築くことが欠かせません。国の大借金がこのまま続いて、持続可能な国でいられるのか、空恐ろしい思いです。
 貿易交渉では、日本の製造業のために農業が犠牲にされてきた歴史を見ると、本当に食料危機になったとき、アメリカファーストと言う米国が日本に大豆や小麦を輸出してくれるのでしょうか。最低の食料を自給することは、国の責任であり、われわれは連綿と続いた日本の農業を守る役割があります。そのためにも不可欠な、JAグループの後継者をいかに育てるかが問われています。
 JAを含め、これからIT化が進みます。特に金融・共済の仕事は大きく変わるでしょう。JAの職員には、どんなに環境が変わっても、対応できるようにしていただきたい。JA職員として大事なことは「一視同仁」、すなわち身分や出身、敵・味方にかかわらず、平等に接し、慈しむ気持ちです。その上で「傾聴」、つまり組合員の意見や言葉に耳を傾けるよう心がけていただきたい。

(写真)小池東京都知事に東京の農業をアピールする須藤会長(左から2人目。2017東京都農業祭の江戸東京野菜のテントで)

 


【略歴】
昭和23年生まれ。
46年に就農し、旧三鷹市農協青年部部長、平成4年JA東京青壮年組織協議会副委員長、11年JA東京むさし理事、20年同組合長などを歴任し、26年6月にJA東京中央会会長、29年8月JA全中副会長に就任。

 

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