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JAの活動:JA全国女性大会特集2018 農協があってよかった―女性が創る農協運動

【寄稿 「明日のJA」に向けて!】出番です! 山を動かす女性の底力と突破力2018年1月24日

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・文芸アナリスト大金義昭

 いま全国のJAで「自己改革」への取組みが進められている。これを成功させ「JAがあって良かった」という評価を地域で獲得するためには、女性の底力や突破力を引き出すことが不可欠であり、それができないJAに「未来はない」と、「現場主義」を貫いてきた女性の歴史を振り返り大金義昭氏は鋭く指摘する。

◆「農協再生に必要な女性の力」を説く

文芸アナリスト 大金義昭 太田原高昭さんが、昨年八月に亡くなった。最後に言葉を交わしたのは、北海道農協学校の応接室であったか。JA非常勤理事研修会が開かれた一昨年の新春である。はにかむような笑顔からは、いつものように春風が吹いてきた。
 誠実な人柄が心に残る風景がよみがえる。内に秘めた弱者に寄せる限りない優しさと強者への反骨とが、太田原さんの学業を貫いている。
 去る一二月には、『新 明日の農協~歴史と現場から』(農山漁村文化協会)が平成二九年度JA研究賞に選ばれ、没後の受賞となった。
 その太田原さんが北海道大学農学部長に在任中、本紙の女性特集号に寄稿した記事が手元に残っている。失念していたが、太田原さんは拙著『農とおんなと協同組合』(全国協同出版)に言及し、「嫁から妻へ、そしてパートナーへ」と進化した農村女性に次のようなエールを送っている。
 今農村に求められているのは、都会人や企業人の傷ついた心身をいやす豊かな環境であり、国民の健康を守る安全、安心な食料の持続的な生産と供給である。そして農業協同組合の任務は、それぞれの立地する農村地域がこのような社会的期待に応えることができるように自己変革することを助け、生協など都市の協同組合との接点を大きく広げていくことである。これこそは女性の歴史的役割であり、現に男性に一歩先んじてきた実績がある。
 だから今女性は、農協の真ん中に座らなければならない。女性の地位向上のためというよりは、農協という組織体を大切に思うならば、それが農協再生にとってどうしても必要だからである。これは男性の理解を待つという性質の問題ではない。女性自身がそのことを自覚し、積極的に実現していかなければならない。そしてその条件は今や熟している。
 (「女性の力を農協運営の真ん中へ!」二〇〇三年一月三〇日付)
 一五年前に発した太田原さんのメッセージが、今なお新しい響きを湛えているところに「協同組合運動と女性」の現状がある。

◆抑圧された「女性の近代」をくぐり抜けて

 今から一五〇年前。幕末・維新を経て成立した明治近代国家は、「富国強兵」を至上命題にした。法・制度や社会的な規範を整備していくにあたっては、女性の人権を著しく制限している。
 女性の参政権を認めず、政治結社への加入はもとより政治集会の主催・参加も禁止。家父長権を絶対視した明治民法下で、女性を家庭内に封じ込める「良妻賢母」を求めた。男女平等の義務教育制度は敷いたものの、旧制大学への進学などは女性の門戸を事実上閉ざしている。
 女性は男性に隷属する地位を強いられ、家庭にあっては、家の統率者である戸主の支配に隷従する「無能力者」と見做された。財産の管理権も子の親権も、特例を除いて女性には認められなかった。女性は貞操の義務を負い、もっぱら家が存続するための"踏み台"にされた。
女性の参政権を認めた1946年の総選挙で36名の女性代議士が誕生した(挿絵=大和坂和可) この間に、「民権女性」や「婦人矯風会」や社会主義者などが女性解放を様々に叫び続けたことは言うまでもない。なかでも日露戦争後の一九一一年(明治四四年)に「新しい女」を主張して、雑誌『青鞜』に集った平塚らいてうらの活動が知られる。その後、いわゆる大正デモクラシー期には、小作争議や無産婦人・廃娼・部落差別・産児制限などの社会運動が広がり、女性の奮闘も目立つようになった。

女性の参政権を認めた1946年の総選挙で36名の女性代議士が誕生した。
(挿絵=大和坂和可)
 
 一九一八年(大正七年)には、富山県魚津町の漁師の妻ら四〇数名が引き起こした「米騒動」が関西・関東の大都市に飛び火。時の内閣を退陣に追い込んでいる。大正末期には「婦人参政権」を求める市川房江らの「婦選運動」が高揚した。
 丸岡秀子が『日本農村婦人問題~主婦・母性編』(高陽書院)を上梓したのは、一九三七年(昭和一二年)であった。産業組合中央会調査部に勤めていた丸岡は、昭和恐慌下の農村を踏査して女性の実態を解明し、戦時色が濃くなるさなかに同書を刊行。家族制度の重圧に苦しむ女性の解放を訴えている。
 しかし軍事翼賛体制が強化されると、女性解放を求める声は「軍国の母」を唱える「国防婦人会」など銃後を守る時流に呑み込まれる。女性の長年の悲願が叶うには、先の敗戦を待たなければならなかった。

◆戦争犠牲者の墓標の上に成り立つ「解放」

 アジアを戦場に夥しい犠牲者を出した侵略戦争に敗北し、この国が無条件降伏した一九四五年(昭和二〇年)。占領軍は「五大改革」を発令し、戦争を惹き起こしたこの国の「戦後民主化政策」を遂行した。
 その五大改革とは、要約すれば(1)「男尊女卑」を否定した女性の地位向上、(2)労働組合の助長、(3)学校教育の自由主義化、(4)国民生活を脅かした旧来の諸制度の廃止、(5)経済機構の民主化、となる。これらの指令により、敗戦後の短期間に新しい憲法・選挙法・民法・労働法・教育制度などが誕生した。
 その結果、現代社会の基礎をなす(1)基本的人権の保障、(2)法の下の平等、(3)女性参政・公民権の確立、(4)家父長制による家族制度の解体、(5)夫婦平等、(6)平等に教育を受ける権利などが実現した。
 農業・農村や協同組合の分野では、(1)農地改革による地主・小作制度の解体、(2)民主的な農協の設立・育成が二本柱となった。
 いずれも占領政策のテコ入れによる改革の成果であったが、背景には、無謀な侵略戦争によってアジア全域にもたらされた二千数百万人に及ぶ犠牲者が存在していたことを忘れることはできない。
 この国の戦後復興は、戦争の悲惨さや平和の尊さを骨の髄まで沁み込ませた人々が担っている。食糧増産に励んだ貧しい農村では、生活改善や女性の地位向上などが喫緊の課題となった。農林省は生活改善課を新設し、初代課長に女性を据えた。都道府県には生活改良普及員を配置し、保健衛生や衣食住の改善などに当たらせた。生活改良普及員は保健婦などと連携し、地域を巡回して生活改善グループの育成に力を注ぐ。
 新生農協は、農協婦人部を設立・育成する。農協と女性との「?啄同時(そったくどうじ)」で産声を上げた農協婦人部が、かくして協同組合運動の一翼を担っていく。農協婦人部が取り上げた課題からは、当時の空気が伝わってくる。
 一つは女性解放や農村民主化を謳い、組織の自主性や集落組織の整備を図ること。二つは衣食住や保健衛生・育児などの改善に努め、農業と家事の労働調整や冠婚葬祭の合理化、健全娯楽の促進など文化・厚生活動に取り組むこと。三つは生活物資の共同集配や竹筒・かまど貯金などによる貯蓄増進に励むこと、などであった。

◆いのちと暮らしを守る最前線で活動する!

 婦人部の会合に初めて出て行った私は、先輩の方たちのてきぱきと物事を処理していく行動力、大勢の方たちの述べる意見を聞き、背中の赤ん坊のことも忘れて時間が経ちました。そして私にもやればできる、というファイトが湧いてきました。(中略)昼間は仕事、家事、育児と追われて、読書の時間などとてもみつけることはできません。私の勉強の時間は、子供たちを寝かしつける寝床の中でした。(中略)子供に乳房をふくませながら新聞を読み、本を読んだものでした。(中略) 一人の力では何もできない私だけれど、こんなにみんなが力を合わせればなんでもで
きるんだと、その時、婦人部の築いたすばらしい組織の力を痛感しました。(高野文子『生き甲斐を農に求めて~苦難に耐えた主婦の記録』栃木県農協婦人部協議会)
 活動のスタートラインに立ち、仲間と共に走り出した一人の女性の感慨は、当時の万人に共通している。名称をJA女性組織に変えて今日に至る七〇年余の活動は、おおむね次の四つのフェーズ(段階・局面)に概括できる。
 
 (1)生活全般の改善に挑み、保健衛生や「栄養改善」「台所改善」「簡易水道の敷設」などに取り組む。受胎調節(産児制限)による家族計画を唱え、「母体の保護」を実践。貯蓄増強運動や「クミアイマーク全戸愛用運動」を担った。
 (2)「農夫症」の予防など集団検診による健康管理活動を広げた。『家の光』読書会や家計簿記帳運動など生活・文化活動を定着させ、暮らしの合理化に取り組み、食品の安全性を求める消費者活動や「粉せっけん愛用運動」など環境保護活動を展開。米価闘争の一翼を担った。
 (3)農家の暮らしを見直す減農薬・無農薬の「農産物自給運動」を広げ、余剰農産物の無人市や定期市・直売所などを立ち上げて消費者と顔の見える関係を創出し、ファーマーズマーケットの礎を築く。農産物の加工・販売、食材宅配、農家民宿・農家レストランなどに挑戦し、「六次産業化」の先駆をなす。農産物自由化反対闘争に加わる一方、体験農園などの「食農教育」や「地産地消」にも力を注いだ。
 (4)地域の農産物を学校・病院給食の食材に提供する活動も、女性が草分けとなった。都市と農村の交流・女性起業などコミュニティー・ビジネスの母体となる。ヘルパー資格を取得して「助け合い組織」を立ち上げ、介護・福祉・子育て支援などのボランティア活動による地域の活性化に貢献する。

◆「静かな革命」の力を前面に押し出す!

 いずれも、暮らしの身近な視点から立ち上げた女性の小まめな活動が時代の変化を先取りし、山を動かすような力を発揮する。「静かな革命」(サイレント・レボリューション)とも言える活動であった。JAの新規事業の多くが、女性のこうした活動を後追いしてきた。
 それでは、「現場主義」に徹したこれらの活動から、女性が手にいれたものは何か。
 かつて女性には、「自分の時間」というものがなかった。短い睡眠時間を除けば、家事・育児・介護・農作業と四六時中コマネズミのように立ち働き、あげくに何一つ「自分で決める」ということができなかった。そんな女性が活動を介して「自分の時間」を獲得し、徐々にではあるが、自分のことを「自分で決める」ことができるようになる。「自己決定」の権能を向上させた。
 その経緯はあたかも、幼虫が蛹から蝶に変身するような成り行きに似ている。あるいは「嫁」「妻」「パートナー」へと地位を向上させ、「わたし」「なかま」「ちいき」へと視界を広げ、「婦人・女性・おんな」へと自称を変えてきた闘いの足取りに重なっている。
 世は、男女共同参画時代。そこへ強権的な「協同組合つぶし」が飛び出した。人々を分断し、協同組合を解体しようとする目論みは、グローバル経済を加速させて自己の利益を最大化させたいと願う勢力とこれに同調する政権との野合から生まれている。
 「強き」を助け、「弱き」を挫く政権が、国内農業や地域社会をないがしろにしている現在、「食と農を基軸として地域に根ざした協同組合」を目指すJAは、こうした事態にどう対処すればよいのか。JAの「自己改革」を成功させ、「JAがあってよかった」という内外の評価を地域で手にするためにも、ブレずに「現場主義」を貫いてきた女性の強みを生かす「男女共同参画」が不可欠である。女性の底力や突破力を引き出すことができないJAに、未来はない。
 太田原さんが一五年前に本紙で唱えた「女性の力を農協運営の真ん中へ!」に、今こそ応えるJAの「自己改革」を! 女性も勇気を持って立ち上がってほしい。それだけの自力が、今の女性にはある。

 

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