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―― トップを飾った写真
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2006.12.27 本紙07年1月20日号「第52回JA全国女性大会特集号」にはタレントの山田邦子さんが登場します。
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2006.12.26 「地域のなかでみんなから貴重に思われるような店をめざしたい」と語る。平成7年3月のオープン以来、施設の拡充や品揃えを充実しながら売上げを伸ばしてきた。組合員の営農を支援する店としてスタートしたが、地域住民にも貢献することをめざし朝取り野菜の直売なども行っている。野菜の直売は地域のなかに定着しリピーターも多く、顧客は午前中に集中する傾向がある。商圏内には競合店も複数あり商売としては厳しい環境だが、「JAらしさ、JAにしかできないサービス、例えば営農の知識を持った販売員を置いたり、顧客の要望に応えて土づくりのノウハウの指導などをおこなっています」と、頼れるお店だと顧客に言われることがなによりも嬉しいと語る。店を利用する組合員が、JAを利用することにもつながっているという。(記事参照)
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2006.12.19 「高品質で、かつバラツキのない点が評価されているのだと思います」と、消費者に選ばれている地元産『コシヒカリ』について籠瀬リーダーは推測する。古くから米つくりが盛んな土地で、管内の大部分の農家が米専業農家だ。技術的なレベルが高く、いかにそのレベルを維持するか、JAの営農指導もその点がポイントになっている。
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2006.12.12 「2015年は遠い将来ではなく、すでに現実だ。今から取組まなければ、デュポンの事業の多くは達成しがたいだろう」という。このほど、都内のホテルで開いた『2015年に向けての市場に関する目標』会見で語った。1951年12月9日、徳島県生まれ、55歳。ワシントン州立大学工学部修士課程卒。1979年のデュポン入社以来、主にエンジニアリングポリマー事業に携わってきた。科学と革新に取組み204年の歴史を誇るデュポン。世界のトップ企業として再生可能なバイオベース素材、先進的なバイオ燃料、省エネ技術、高機能な安全防護製品、代替エネルギー関連製品を生んできた。そのパテント数は3万4000件におよぶ。今後、省エネおよび地球温暖化ガス排出量削減製品の投入で4000万トン以上のCO2削減を見込んでいる。(記事参照)
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2006.12.7 「平成9年に6JAが合併したが、共和国ではなく旧JAの垣根を取り払い真にひとつのJAにすること」を合併の目標とした強調。たとえば、農産物販売はJA一元化を図り、広域営農指導員を設置して地域全体の農産物の高位平準化をめざした。しかし、一方で集落座談会への出席者減少など組合員との結びつきが弱くなったことや、一元化した農産物販売で逆に地域のユニークな取り組みを生かせないデメリットも出てきたという。そこで組合員との結びつきを強める一環として、営農経済渉外員制度を導入した。「渉外員には、推進はしなくていい、まずは顔を出せと言っている」。 今、組合員からは「JAに自分の意見を言える場ができた、推進をしない職員に初めて会うことができた」という声も聞かれるようになったと話した。(詳細は「農業協同組合研究会第4回シンポジウム」を)
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2006.12.4 農業協同組合研究会が開催した第4回シンポジウム「合併農協の課題−参加型運営のトライアル」で実践報告。JA運動は組合員を経済面、健康面、精神面で豊かにする「幸せづくり」運動だと語り、そのためには営農と生活文化・福祉活動を両輪とする事業展開が今後のJAに欠かせないと強調した。そしてそのいずれも「担い手」は今や「女性たち」であることから、女性部の組織改革を進め、楽しんで活動ができるグループを「星の数ほどつくる」ことを合い言葉にしてきた。また、女性正組合員割合25%を掲げた目標も達成。デイサービスセンターの開設など福祉事業は「もっと私たちが働き役に立てる場を」との女性総代の発言から実現したという。「女性の参画によってJAも変わらなければならなくなった」と話した。(詳細は「農業協同組合研究会第4回シンポジウム」を)
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2006.11.28 「植物検疫では輸入解禁問題に対応し、農薬ではゴルフ場農薬問題に行政として取組んできた。8年振りに農薬関係に戻ってきたことになり、植物防疫や農薬産業を初心にかえって見つめ直し、食の安全・安心を改めて考えてみたい」という。12月1日付けで、農薬工業会の専務理事に就任する。1950(昭和25)年、大阪市生まれ。56歳。静岡大学大学院農学研究科卒。昭和51年の農水省(植物防疫課)入省以来、主に植物検疫と農薬をほぼ半々に経験した。奥富氏の「明晰さとともに温厚、しかも持ち前の明るさがある」といった業界評に期待したい。趣味は、カミキリ虫など甲虫類の収集や家庭菜園など多彩。「アグロ虫の会」会員。(記事参照)
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2006.11.28 全農特集の「JA全農女性役員に聞く」でインタビュー。「改革」の言葉に「これぞ今の全農の姿勢、意気込みを感じる」というが「現場に戻るとやはり浸透していないのではないかと懸念している」という。強調したのは農業者のところにもっと足を運んで営農指導面などで改革に取り組む「姿を見せること」だ。「現場に足を運んで汗を流して生産者と一緒にモノを売っていくというようなきめ細かい配慮が必要ではないでしょうか」。
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2006.11.22 「大変名誉なこと。行政、関係団体・企業、および社員の支えがあったからこその受賞だと思う。農薬は農業生産にとって不可欠な資材であり、40年余にわたって流通には法にのっとり、安全対策にも細心の注意を払ってきた。多くの消費者にはなかなか理解されにくい業界ではあるけれども、それに光を当てて頂いたことで関係者の励みにもなるのではないか」と語る。今秋の叙勲で旭日小綬章を受賞した。昭和11年、熊本県出身。70歳。理事長として3期目に入り、「惰性のない新たな気持ちで組合の事業に取組みたい」という。同組合は全農薬流通の約60%のシェアをもち、それだけに「農薬流通および安全対策に大きな責任を感じている」とも。いま、同組合ではウェブを利用した受発注システムの構築に取組んでおり、20数社のメーカーと約240社の組合員をつなぎ円滑な情報伝達やコスト削減などを目指していく。
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2006.11.20 監事としての最初の印象は「すごく真面目な組織で、「一所懸命に組合員のことを考えて業務をやっているのに、外への働きかけ・パフォーマンスが下手なために、いろいろご注意を受けている」だった。そして、社会的に適応しよくするために員外役員の発言を重く受けとめ、業務や情報発信に変化が表れ「確実に変わってきている」と評価する。監事として県本部や子会社など現場を回ってみて「日本の農業は凄い。これは潰してはいけない」と思ったという。一人の消費者・台所を担う人間という立場からみると、「日本人の真面目さ実直さ管理の素晴らしさが農業に全部出ている」が、そのことが伝わっていないことを実感したとも。今後、員外監事の強みを活かして発言し「日本中から理解される全農にしたい」と抱負を語った(詳細は「JA全農特集:生産者と消費者を安心で結ぶ懸け橋に」を)。
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2006.11.17 就任要請を受けたときは「ビックリという感じ」だったが、国内自給率向上と第一次産業の復権を目標とする生活クラブにとって、「全農は最大のパートナー」だと考え引き受けたという。いま全農に問われているのは「組織が生き残るためにどうするか」ではなく「日本農業にとって必要な存在になるために何をするか」であり、「生産から流通・販売まで一手に持っているのだから、日本の国土を見据えた提案型の農畜産物の生産・販売をしていく」ことであり、そのことに「自らチャレンジすることで、本当の意味で、生産者と消費者の“懸け橋”」になると語った。また、「現場感覚をもった運営」をするために、農業を担っている女性がもっと発言すべきだと女性のJA運営への参画を促した。(詳細は「JA全農特集・生産者と消費者を安心で結ぶ懸け橋に」を)
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2006.11.15 「とてつもなく大きい組織」で「それだけ日本農業にとって重要な組織」だと、全農の全体像を知ったときに認識したという。弁護士として民間会社の仕事もしているが、そうしたところと比べてもガバナンスやコンプライアンスの改善に「全農はよくやっている」と評価する。そのうえで、せっかく組織統合したのだから、本所・県本部間などの人事交流をもっと行い、風通しをよくして「意思の疎通を図り統合の実をあげる」ことが必要ではと考えている。そして全農が果たさなければならない役割は、小規模農家や高齢者も含めて「農業の方向性を示し」「健全な生産者を育てる」ことにあり、「その農業の姿を消費者に伝え理解してもらう」こと。それが「懸け橋機能」だと語った。(詳細は「JA全農特集・生産者と消費者を安心で結ぶ懸け橋に」を)
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2006.11.13 「地域社会から期待される宇都宮大学、期待に応えられる宇都宮大学を目指していきたい」。11月10日、同大で開催した第1回『竹松セミナー』で語った。同セミナーは、雑草科学の嚆矢である竹松哲夫氏(故人)の卓越した教育研究業績を顕彰しその名を長く留めるとともに、将来的な雑草科学の発展を探究していくもの。地球の温暖化などにより、植生が大きく変化しつつある中で雑草科学研究の重要性を強調した。1940(昭和15)年、福島県生まれ。東京大学では畜産物利用を学んだ。知る人ぞ知る「ミルク」の権威でもある。昨年12月、第17代学長に就任。「豊かな発想を地域に、新たな知を世界へ」の学風を大切にしている。植物栽培が趣味で、食料自給率の向上とともに「安全・安心・安価」の3つの「安」の重要性を強調した。(記事参照)
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2006.11.10 医薬品部門の経験が長かったので、農薬の責任者になったときに、この業界を客観的にみることができ、営業を従来のセールスとAR(アグロケミカル・リプレゼンタティブ)に分けるなど改革ができたと語る。ARが末端の小売店や農家に農薬の使用方法や効果などを紹介し、販売促進を担っている。ARのヒントは医薬の営業経験から得た。
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2006.11.8 約400人の麦作農家の全員が出資した「ひびきの農産(株)」をJA主導で設立。面積にして700ヘクタールを集約して新たな担い手経営安定対策の実施に対応した。多様な農業者を担い手として位置づけるその理由は、野菜、果樹などの生産意欲を落とすわけにはいかないという地域の農業全体の振興が必要という思いがある。また、「地域社会の人たちが元気になってもうらう源、その食を農協が担っていきたい」と地域社会への貢献もJAの課題だと強調した。JAや全農の販売事業の課題については「農家とJAはどこまでやるか、そして全農はどこを担うのか、きちんと分けて機能を発揮すべきではないか」と話す。「JA全農特集・生産者と消費者を安心で結ぶ懸け橋に」で「座談会・生産現場、担い手に目に見える全農改革をどう進めるか」から。(詳細は「JA全農特集・生産者と消費者を安心で結ぶ懸け橋に」を)。
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2006.11.1 「JA全農特集・生産者と消費者を安心で結ぶ懸け橋に」の「座談会・生産現場、担い手に目に見える全農改革をどう進めるか」に出席してもらった。
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2006.10.30 JA北つくば明野野菜連絡協議会会長の佐藤政七さんは、キュウリを中心に約50アールのハウスを経営している。燃料費の高騰で生産コストが上がり、「生活費をやりくりしてなんとか凌いでいる」と語る。連絡協議会は地区ごとの各品目別生産部会の横断的な組織で、野菜等の価格低迷に対応するため明野地区の『農産物直売所』設置に向け動きだした。「なんとかコスト増の一部分でもカバーするため、自分たちで値段をつけて売りたい」との各農家からの要望が強く、現在JAと協議中。JAも「生産者の積極的な姿勢は評価できる。何とか力になりたい」と、設置する方向で場所等の検討を始めている。しかし、品切れや売れ残りにどう対処するかなど課題も多いことから、慎重な検討が必要とも言う。ハウス栽培を中心に生産コストが大幅にアップしている中、生産者の必死の努力は続く。
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2006.10.20 鳥取県智頭町新田集落は、全国初の集落NPO法人を立ち上げ「交流と文化」をキーワードにした村づくりに取り組んでいる。大阪いずみ市民生協との交流は15年にもなる。今年も9月の終わりに生協組合員が家族連れで集落を訪れ、稲刈り、イワナの手づかみと地元産野菜を使った料理などをともに楽しみ交流を深めた。岡田一さんはNPO法人立ち上げ時には会長を務めた。17戸、人口は46人の小さな山間集落だが、住民みんなに何らかの役割を持ってもらい「やれることは自分たちで」と「小さな自治体」づくりもめざしている。「何もしなければ過疎化の勢いはもっと増していた。それぞれに役割も生まれ人生に楽しさが出てきた」と語る。(詳細は「自立をめざす農山村とJAの役割(3)」を)
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2006.10.18 『協同組合の本質を語る』本紙企画の座談会で、今の経済社会は「行過ぎた市場主義が世界的規模に広がり、貧富の格差が広がっている。それに営利第一主義で、しかも短期主義だ」と問題を挙げ、それに対して「本来の協同組合は、その問題を解決すべき考え方を持っている」と指摘。今こそ「人々の生活を豊かにするために社会的責任を負わないといけない」と協同組合の価値や使命を強調した。また協同組合の1番の武器は情報公開であり「企業と違って営利目的ではないからデメリット情報すら公開すべきだ」と語る。マスコミはデメリット情報が大好きだから、そこを利用して協同組合の活動を報道させるようにするのも“一つの手立て”とした。(詳細は「第24回JA全国大会記念特集」を)
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2006.10.12 林野庁は国内の森林の整備を進めるため、『木づかい運動』を展開し国産材の利用促進に積極的に取り組んでいる。JA全農はその趣旨に賛同し、広報誌・エプロンで使用する紙に“3・9ペーパーシステム(ユーザーが木材輸送費の一部を負担する仕組)”を採用し9月号から制作している。
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2006.10.10 弱肉強食の「新自由主義」政策によって格差拡大が進み、農業の疲弊も深刻だ。本紙企画の「協同組合の本質を語る」座談会で「危機に立つのは農業だけではない」、他の産業も同じで「人間存在そのものが危機に立つ」と指摘した。NHKテレビの「ワーキングプア(働く貧困層)」というドキュメンタリー番組が大きな反響を呼んだが、実はコメンテーターとして出演した内橋さんが、この言葉の名付け親だ。働いているのに生活保護の給付水準よりも所得水準の低い貧困層が大量に排出されている。だから農業も農協も日本の政治経済社会の全体を考える立場で、きちんとした「批判精神を持つべきだ」と強調した。そうしないと「総合農協解体論などに対して理論的に反論できないではないか」と説いた。(詳細は「第24回JA全国大会記念特集」を)
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2006.10.6 創業90周年を迎える明治製菓は、チョコレートやお菓子類だけではなく、医薬品や動物用医薬品・農薬分野でも日本のトップメーカーの一つだ。そのノウハウを活かして、「健康という領域を主戦場とするビジネスモデルを作り上げていきたいと考え、食料とヘルスケアを一本化して、フード&ヘルスケア事業」を立ち上げた。そうした立場からインタビューでは、日本の食文化、農業について語ってもらったが、その中でJAには「自給率向上の取り組みの先頭にたって欲しい」との期待を述べた。(詳細は「第24回JA全国大会記念特集」を)
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2006.10.3 第24回JA全国大会特集号「食と農を結ぶ活力あるJAづくりをめざして」でインタビュー。
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2006.9.29 9月26日、安部内閣の農林水産大臣に就任。会見で「世界にこれだけの品質の農産物はない。この強い武器を活かして世界に冠たる農業が実現できるような、農村のみなさん、とくに農業に従事されている青年の方々が大きな意欲と希望をもってがんばれるような農政をしっかりと進める」と話した。また、JAグループについて「農協というのは何といっても地域にあって、農業、農村、農家にとっては非常に重要な役割を果たしている。さらに大きな役割を果たすためにも思い切った農協改革をやっていかなければならない」と述べた。
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2006.9.27 「消費者ニーズは食の安全・安心にシフトしている。微生物防除剤は、IPM(総合的病害虫・雑草管理)の推進手段の1つであり、その手段の可能性を広げるために協議会を立ち上げた」という。8月1日、アリスタライフサイエンス、出光興産、セントラル硝子、多木化学の4社は、微生物防除剤のいっそうの普及促進をめざし『日本微生物防除剤協議会』を設立した。サングリーン(株)は、セントラル硝子の子会社。1948年、広島県生まれ。57歳。京都大学農学部(農芸化学)では、土壌肥料の権威である高橋英一教授に学び、「初めて農業に近いところを研究した」と控えめ。1974年にセントラル硝子に入社した。「JAグループは大きな組織で、農家に密着した専門集団だと認識しています。この組織化された専門集団に、いっそうこの分野(微生物防除剤)に興味をもって頂ければ、普及拡大が加速するのではないでしょうか」と、JAグループにかける期待を語った。
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2006.9.13 「世界の農薬市場は約3兆円強と思われるが、そのうちジェネリック(特許切れ)農薬は明らかに5割を超えており、そのウエイトは今後ともいっそう高まってくるだろう。今日では、既に一部のジェネリック品において淘汰されている現象も見られるが、あくまでもジェネリック品は既存品のリニューアルであり安全性や毒性データの確保の中で環境問題にも対応し、かつ低コストを提案する資材の最先端にある」と語る。インド・ムンバイに拠点を置くユナイテッド・ホスホラス社(UPL)はマクテシム、ニューファム、ケミノバに続く世界第4位のジェネリック品会社であり、ユーピーエルはその三井物産系の日本法人。ユナイテッド・ホスホラス社はこのほど、バイエル クロップサイエンス社より除草剤および殺虫剤2剤を譲り受けた。利益品目にシフトする大手農薬企業とジェネリック品で急成長を遂げる企業の姿は、世界の農薬企業の生き残りを賭けたグローバル戦略を象徴している。<関連記事>
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2006.9.11 八代地域は、年間70億円の販売高を誇る「はちべえトマト」や日本一の生産量を持つい草・畳表をはじめ多彩の農産物産地だ。専業農家が大半を占めることもあってJAのシェアは必ずしも高いとはいえない。そのためJAでは、営農指導と販売を一つの部署・営農部に統合し、経済渉外課を設置して自ら組合員に出向きコミュニケーションを強めるなど、JAブランドによる共販の有利性を発揮して「所得の向上」と「やりがい」を実感できる農村社会の実現を目標に積極的に取り組んでいる。い草については、熊本経済連からすべての事業がJAに移管されたが、「日本文化の最たる畳を後世に残す大きな使命」だと考え、い草・畳表を取り扱う「市場課」を新設し、中国産に圧迫されている事業を積極的に推進すると語った。 <詳細は「JAの現場から考えるJA独自のビジョンづくりに向けた戦略(2)」を>
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2006.9.7 生産者が記帳した生産履歴をOCRで読み取り、栽培基準に合致しているか否かを自動的に判断する「農業情報センター」や残留農薬などを検査する「環境センター」の設置など安全・安心な農産物を安定して供給する体制を構築。販売面では、東京事務所を設置して直販に積極的に取り組んでいるが「市場流通でも契約取引や相対取引をキチンとやっていくことが大切だ」。量販店などのバイイングパワーによって、小売価格が先に決まってから市場価格が決まっているように見えるが「生産者の目線に立った販売ができないか」と考えている。そして「安全・安心というが、われわれは安全な農産物を売り、消費者には安心を買ってもらう。こちらは安心まで売る必要はないのでは」とも。そのためには、食料問題を含めて消費者教育が大事だと語った。
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2006.8.31 「ポジティブリスト制度では、すべての作物と農薬の組み合わせで残留基準が設定されることから、農薬のドリフト(飛散)などによる適用外作物への影響が懸念されている。弊社では、ドリフトの心配がなく農家の皆様に安心してご使用いただける製剤や施用法について、早い時期から研究開発を進めてきた」と8月28日、『独自省力製剤「豆つぶ剤」−品揃えの拡大とグローバル展開−』の記者会見で語った。「豆つぶ剤」は、粒剤を直径3〜5mm程度の豆つぶサイズとした製剤で、水田に散布すると水面で崩壊し、24時間後には成分が均一に水田に拡散し、手撒き、動力散布機、無人ヘリのいずれでもドリフトの心配がなく散布できる革新的な省力製剤に仕上げられている。現在7製品がラインアップされており、今後2製品を追加していく。海外展開ものぞめ、既に韓国では技術普及展開が本格化している。<関連記事>
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2006.8.24 平成9年からJAS有機による合鴨農法で水稲を栽培。栽培面積は1.8ha。現在、南方町水稲部会(宮城県登米市)では、25名約100ha(18年産米)でJAS有機による作付けが行われている。南方町での実践がベースとなってJAみやぎ登米の「環境保全米」の取組が始まり、いまではJA管内8割にまで広がっている。大久保さんは消費者との田んぼの生き物調査で、害虫の天敵も含めて多くの生き物が生息しており「田んぼは命をつなぐ」ものであることを知る。「“いただきます”の向こう側に、さまざまなドラマがあることを消費者に伝えたい」という。大久保さんたちのJAS有機米は、生協を中心に高級ブランドとして首都圏で販売されている。<関連記事>
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2006.8.22 農産物の販売は、米、畜産、お茶が3本柱。鈴鹿といえばサーキットで有名だが、昨年、ペットボトル入りの「鈴鹿茶」を市、サーキットと提携して開発、販売した。サーキットでも販売し地域全体の知名度アップをめざす。今後は「第4の柱を育てることが課題」と話し、野菜から品目を選び産地化を目標にしている。そのための販売拠点のひとつが、ファーマーズ・マーケット「果菜彩」。出荷品はすべてエコファーマー基準とすることが目標でいずれは「果菜彩」自体をJA鈴鹿の農産物ブランドとする戦略を練っている。
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2006.8.18 沼津市は東京にも近い都市圏のJAだが、お茶、肉牛、みかんなど特産物も多い。肉牛では「あしたか牛」として地元の精肉店と提携して販売したり、 みかんでは味が濃厚で市場でも高い評価を受けている「寿太郎みかん」などブランドもある。今後は、地元産のお茶も沼津茶としてブランド化していきたいという。そのためにも「地元の異業種との連携が大事」と語る。 来年には技能五輪国際大会が開催されるため、今、職員からアイデアを募集するなど地元農産物を売り出す新たな特産品づくりに取り組んでいる。<詳細は「JAの現場から考えるJA独自のビジョンづくりに向けた戦略(2)」を>
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2006.8.11 「世界の農薬市場は減少傾向にあるが、環境との調和や食に対する安心などの必要性が、新製品開発への期待にさらに拍車をかけている」と語る。農薬は成熟市場で成長の限界があると見られがちだが、実際には農業生産にとって不可欠で重要な技術の1つで、昨今の環境への配慮から見ても期待は大きい。農業食料関連事業基盤(プラットホーム)の構築を目指している同社だが、「研究開発は当社の存続の基礎であり、化学合成農薬においても技術革新のために、今後も積極的な投資を継続」すると言う。1962年生まれ。クリスチャン ブラザーズ カレッジで経営学を専攻。デラウェア大学ではMBA(国際ビジネス系の資格)を取得。趣味は、マラソンを含むアウトドア。「自然な風が好き」だと言う。<関連記事> |
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2006.8.7 広島県境の大三島など島しょ部から四国高縄半島の東側の陸地部までそれぞれ特色のある地域、「持ち味が異なる産地が一つになり、相互補完や相乗効果によって地域全体を活性化する」ことが「広域農協がトータルな力を発揮すること」だと語る。その施策の柱に地産地消を位置づけ、現在ある2店舗に加えて、全国でも有数の規模となる直売所を来年4月にオープンする。共選共販に参加できない兼業農家や小規模農家も「地域農業の担い手」であり、その人たちの農産物をここで販売することで「農業経営の安定化につながる」と考える。(詳細は「食と農を結ぶJAづくりのために」を) |
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2006.8.4 首都圏で高い評価を得ている日の丸・真穴・川上の「御三家」をはじめとする10共選で生産される温州みかんなど柑橘類が販売事業の9割を占める“みかんの里”として全国的に知名度が高い。しかし、消費の減退、安価な輸入果実の増加、量販店のバイイングパワーの強大化から価格が低迷し農家経営に深刻な影響を与えてきている。JAの経営も大変だが「まず、農家組合員に金を取ってもらうことが先決だ」ということから、生産資材や流通コストの引き下げに積極的に取り組み生産者の負担軽減をはかっている。さらに消費者や市場から評価されるような品種への切り替えにも取り組んでいる。(詳細は「食と農を結ぶJAづくりのために」を) |
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2006.8.2 枝豆・春菊・ほうれん草・キャベツ・白菜など「何を作ってもできる」という土地柄を活かして、首都圏の食料基地として多様で多彩な農産物を供給してきている。とくに枝豆は数人ごとに組織された生産組合が競い合い高品質なものを産出していることから、東京市場で高い評価を得ている。また、全国に先駆けて予冷庫を活用した「夏のほうれん草」市場を開拓するなど独自の施策を展開してきている。最近は、都市化の波と生産者の高齢化や後継者問題があって、この地域の農業は厳しいが、JAの施設を利用して多様な販路と多彩な農産物をつなげていきたいと考えている(詳細は「食と農を結ぶJAづくりのために」を) |
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2006.7.27 農業協同組合研究会の課題別研究会で「経済事業改革の動向と課題」をテーマに報告。JAグループが進める経済事業改革では担い手への対応を課題としているが、増田助教授は、自給的農家を組織して多彩な農産物の直売などで販売を伸ばしている例や、異業種からの参入者をJAへ結集させている例などを挙げ、「大会議案では担い手対応を強調しているが、地域で担い手を作り出す、という視点が弱いのではないか。今いる地域の担い手への対応だけではなく、人と農地をいかに集めて農業振興を図っていくかが重要と」と指摘。「JAが自らの足下を鍛えながら改革を進めるべきではないか」と提言した。(詳細は近日中に掲載)。 |
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2006.7.25 7月22日の開かれた農業協同組合研究会の06年度第1回課題別研究会「経済事業改革を考える」で講演した。全農改革について「主人公は誰か。それは組合員であり消費者。主人公が何を求めているかをしっかり把握することが大切」と強調。とくに一人の農業者の立場からは販売事業で組織の力を発揮することが期待されるとして「統合によってムダを省き効率化するのは当然で、他の業者、消費者ともノウハウを出し合って販売力をつけるなど、外に向かって一歩打って出る改革が求められている」と語った。(研究会の詳細は近日中に掲載) |
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2006.7.13 第84回国際協同組合デー記念中央集会の記念講演で、日本人の食生活が肉や脂肪分を多く採るようになって、塩分の採りすぎが目立つようになってきた」と、健康で長生きするために必要な食生活を送っていないと警鐘を鳴らす。20年以上をかけて世界25ヵ国61地域の調査・研究を行い、「健康で長生きするためには、必ずそれを支える“食べ物”がある。肉類などよりは、野菜などの植物性繊維を多く採るべきだ」と、大豆から得られる植物性タンパク質などが健康に役立つことを語る。そして長生きするだけでなく、健康であることが大切だと語りかける。人間が主体的に生きることを健康が保証してくれるのであり、そのために食生活の大切さを多くの人が自覚する必要があると訴える。 |
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2006.7.10 JAえちご上越管内の生産者は約1万2900戸。集落数は950あり、JAが実施したアンケートでは約8割の集落が担い手づくりでは「集落営農の組織化を考えたい」だった。しかし、集落営農の担い手要件のひとつである20ヘクタール以上の農地がある集落は150のみ。そこで、JAではこの夏にJA出資法人を立ち上げ、集落ごとに構成員として参画してもらい法人から営農を請け負うという構想を進めている。「JA出資法人を法人経営の学びの場と考えもらう。その後に法人として独立を考える。いわばのれん分けです」と古川部長は話す。 |
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2006.7.7 新潟県見附市の農業者。JAにいがた南蒲とJA全農が取り組む米を原料にしたバイオエタノールの製造の実証試験に協力し、今年は40アールで超多収量品種「北陸193号」を作付けした。広々と水田が広がる地域。エタノールの製造と利用の事業化の話を聞いたとき、「地域の農業を救うのも、地球を救うのもこれしかない」と思ったという。集落でつくる機械利用組合のリーダー。米づくりのほか乳牛も飼う。秋の収穫を楽しみにしている。 |
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2006.7.5 7月1日に発足した中山間地域フォーラム(会長:佐藤洋平・農業環境技術研究所)の第1回研究会で記念講演。「中山間地域の再生に向けて今何をなすべきか」と題した講演のなかで、「中山間地域の問題は田舎だけではなく、都市の中心部、周辺部でもいずれ発生する問題。また韓国、中国、ヨーロッパも抱える国際的な課題」だと指摘。農林業だけでなく多様な産業、都市住民との交流など「みんなで創る地域の暮らし」の視点で再生を考えていくべきことなどを強調した。 |
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2006.7.3 個配事業を開発・確立し、その一環としてステージ別カタログを開発するなど、生協界で先進的な役割を果たしているパルシステム生協連合会の新理事長に就任。 |
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2006.6.29 農林中央金庫は6月27日に総代会を開催、17年度決算が承認された。経常利益は昨年に続き過去最高の3113億円となった。 |
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2006.6.15 5月26日開催の理事会および評議委員会で理事長に選任された。米の流通が完全自由になり、協会の性格も大きく変わった。「以前は、待っていれば仕事の方からやってきました。今はそうでなく、仕事はすべて入札で、民間との厳しい競争にさらされています。厳しい環境ですが、人や組織を鍛えるには良い機会だと考えています」と、人や組織が試される時代だとの認識を示した。 |
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2006.6.6 (財)日本相撲協会相撲博物館館長の納谷幸喜氏(元大相撲第48代横綱"大鵬")が、『裸で学んだ人生観(自分らしく生きる)』をテーマに全国食肉学校で講演を行った。同校総合養成科・食肉販売科の学生を前に、生い立ちから、新弟子時代、大関・横綱となって前人未踏の幕内優勝32回などを成し遂げ、引退するまでの相撲人生を中心に、その中で学んだことや考えたことなどを語った。「差別をしてはならない、だけど平等、対等ではない」、「単純な事が一番難しい」、「基本を大切に」などの言葉を、自分の経験と照らし合わせながら学生達に語った。力士時代「てっぽう2000回」、「しこ500回」を日課にしていたという話などは、氏が決して天賦の才に恵まれただけの人ではなく、人の2倍、3倍も努力をしていたことを明らかにしている。"大鵬"の現役時代を知る学生はほとんどいないが、時にはユーモアを交えて話す納谷氏の話は、深い感銘を学生に与えたようだった。 |
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2006.5.26 「環境保全型農業に適した微生物農薬の開発に力を注いでいる。この分野でのトップメーカーを目指したい」と意気込む。すでに水稲の種子消毒剤と野菜・果樹用の殺菌剤を普及展開中だ。微生物農薬の成分は生菌であり、使用成分回数にカウントされない。このため水稲用の場合、特別栽培米の生産者にとって強い味方となる剤だという。最近は農薬以外にも切花の寿命を長持ちさせる鮮度保持剤を開発し、発売した。クミアイ化学工業(株)は殺虫剤、殺菌剤、除草剤などを製造し、JA全農を通じて国内販売をしているが、輸出もグローバルに展開。輸出先は56カ国にのぼる。農薬の安全性問題については「農業者や農協が厳しい態度で安全安心な農産物づくりに一生懸命努力している姿を消費者に見せることが一番説得力があると思う」と語った。 |
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2006.4.19 「わが国の農業は、担い手などの構造の再編、あるいは安全、安心な国産農産物を安定的に供給するといった生産基盤の強化に向けて、さまざまな取り組みが行われている。また、5月末にはポジティブリスト制度も施行される。安全、安心で、かつ安定した農産物生産の一翼を担う系統農薬メーカーとして、このような社会のニーズに応えるべくさまざまな努力が求められている」と4月18日、JAビルで開催した環境調和型新規殺虫剤の記者会見で語った。同社は、新会社として約1年半を経るが、この間、「農・人・環境のハーモニー」を会社のモットーとし系統中核メーカーを目指し邁進してきた。戦術的には、園芸分野・IPM(総合的病害虫・雑草管理)・受託防除のサポートの3つを柱とし、営農支援活動の強化に取り組んでいる。「農産物を安定的に生産するためには、農薬は必要不可欠な生産資材だが、環境調和型のIPM資材をいっそう充実させていく」という。 |
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2006.3.9 「ポジティブリスト制度の導入は我々にとって好都合であり、事業を制限するものではない。既に、かなり多くの製品において農薬登録の適用拡大をはかっており、制度はいっそうの適用拡大を行うためにも素晴らしいものだ」と言う。ポートフォリオ(製品群)の多くは、ポジティブリスト制度の導入に対して追い風になると考えている。2005年、同社の業績は、市場がやや減少傾向にある中で7%増の283億円を確保した。非選択性除草剤の「タッチダウンiQ」を中軸とした4つの新製品、アファーム、プリグロックス、アミスター、アクタラなどの主力既存製品もリズミカルなパフォーマンスを見せ、成長に貢献した。ビジネスモデルとして直販を選択した同社だが、食の安全・安心のニーズに応え、「製品を正しく使って頂くためには、サービスを正しく提供していくことが重要」という。このためにも、「農家の方々の近くでサービスを提供していく」方針だ。カスタマーフォーカス(顧客重視)を実践するシンジェンタ。R&D(研究開発)にも積極的で、当面4つの新規化合物を成就させる。 |
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2006.3.1 「日本農業が国際競争の渦中に晒されている中、力強く、体力の強い農業に導くことが大切だ。そのためにも、確たる信念のもとに再構築されようとしているJAグループの将来像を、ハッキリと農家の方々にメッセージされることを期待している」、と改革を進めるJAグループにエールを贈る。2005年12月、イスラエルに拠点を置き、世界100カ国以上でビジネスを展開するマクテシム・アガン社の日本法人であるマクテシム・アガン・ジャパン代表に抜擢された。住友商事在籍時代にはアフリカ、フランス、オーストラリアなど海外経験も豊富。特にオーストラリアの会社、サミット・アグロ・オーストラリアでは、各日本メーカーのスペシャリティー製品開発に加え穀物用除草剤のアトラジン、シマジンなどをトップとして手掛けてきた。1969(昭和44)年京都市生まれ、36歳。京都大学経済学部卒。マクテシム・アガン社はジェネリック(特許切れ)農薬を扱う世界のトップ企業で、売上も20億ドルに達する。日本への上陸は決して早くなかったが、「日本の伝統を守り、格式を大切にしたい」と思いを語る。趣味は「和笛」。ジェネリック農薬を「和笛」のように奏でることができるのか。 |
2006.2.23 「感無量です。受賞の連絡を受けたときは、自宅(宮城県刈田郡蔵王町)の周りの雪かきをしていました。らんを育てるということは、私自身がらんの気持ちになりきり世話をしてやることです。どんなに小さならんであっても、区別をすることなく心を込めて育てています」という。東京ドームで開催されている『世界らん展日本大賞2006』で栄えある日本大賞に輝いた。受賞花名は、マスデバリア属ツアカウ キャンディー種の「ラブリー」。「ラブリー」は、経営するペンションの名前からきている。50歳。アンデスに自生する原種同士の交配で株全体に100輪を超える花をまんべんなくつけた作品。ややオレンジ色を帯びた白色地に、紫紅色の鮮明なストライプが美しく、他にはないマスデバリア属独特の雰囲気と形を持った可憐な種、という審査講評。「もともと暑さに強くない品種で、管理には非常に気をつかった。『らん展』に照準を合わせベストなコンディションにもっていった」という。 |
2006.2.20 「JAグループが進める安全・安心への取り組みと連携し、シリーズを効果的に使用していただけるよう技術的な支援も充実させていく。品揃えの充実で、安全・安心な農産物づくりを実践されている農家の皆様と消費者の皆様との架け橋となることを確信している」という。2月14日、微生物農薬「エコシリーズ」の記者会見で語った。シリーズは、水稲種子消毒剤の「エコホープ」、それを固形製剤化することで保存性と輸送性を高めた「エコホープドライ」、さらに、この3月から上市する果実に対して汚れが少なく、保存性に優れた果樹野菜用殺菌剤「エコショット」の品揃えを進めたもので、今後「エコメイト」、「エコホープDJ」を加えていく。同社の母体は、昭和3年、静岡市に柑橘同業組合の一事業として農薬製造を開設したところにある。昭和43年に、現在の組織体制の基盤を構築した。従来の化学合成農薬に加え、時代のニーズに対応した環境負荷の少ない「エコシリーズ」をいち早く手掛けたが、変貌する農業環境といった側面から見ても、一つの「峠」にさしかかっていることは間違いない、と思える。 |
2006.2.15 「らんには、特別な花の印象があります。ブランドの衣装もコンセプトがらんであり、何かしら縁があるような気がします。らんからエネルギーをもらっている心持ち。1株1株の力強さに魅力を感じています」、と『世界らん展日本大賞2006』に向けて、假屋崎省吾さんとともにらんに対する思いを語った。『世界らん展日本大賞』では『世界らん展オーキッド・クイーン』を選定しているが、2006のクイーンにセレブリティモデルとして活躍のほか雑誌、テレビなどでも人気がある森さんが選ばれた。森さんは10月生まれ。世界らん展で定める「12カ月の蘭」では、10月の蘭は「カトレア」。良質のオートクチュールを身にまとったような華麗な蘭「カトレア」は、多方面にわたり活躍している森さんのイメージにぴったりだ。1982年、東京都出身。趣味・特技はペットの世話、英会話、デザイン、乗馬など。 |
2006.2.3 「(親会社の方針には従うが)我々のビジネスチャンスが広がる可能性があれば果敢に取り組んでいく」と、2月1日の記者懇談会の席上、M&A(企業の合併・買収)の可能性について答えたもの。1月から農薬および農業資材の販売、マーケティングならびに製造を行うデュポン ファーム ソリューション(株)の社長に就任した。1959年、山口県生まれ。46歳。1984年に北海道大学大学院農学研究科(修士課程)を終了後、デュポン ジャパン リミテッド(現デュポン(株))に入社。米国、イタリアなど海外経験が長く、主に除草剤などの技術開発・普及に取り組んできた。「生産者に、農薬および農業資材などのソリューションを提供し、農産物の品質、生産量および安全性の向上」が経営理念。新規大型殺虫剤の開発も進み、新たな展開を見せることになる。 |
2006.1.23 「世界的に競争力のあるBASFの製品や技術を日本の顧客と市場ニーズに合わせて提供し、世界各国で事業展開を行う日本企業と、BASFの41カ国にあるグループ会社との橋渡し役を担い、顧客企業のグローバル戦略の実行と成功をサポートしていく」とこのほど、新年度における基本路線を明らかにした。2005年、原油の高騰が吹き荒れた世界の化学業界だが、2006年も同社を含めた「世界の化学業界は成長企業を堅実に歩むと思われ、その推進力はアジアにおける成功が鍵になる」とも。アジアへの投資で注目されたのが中国・南京に竣工させたフェアブント(統合生産拠点)だったが、今後の投資は可能性の高い日本を中心としたものになるという。1948年、大阪府吹田市生まれ、57歳。大阪大学法学部卒。伊藤忠商事(株)からBASFジャパン(株)へ招聘されたが、「人情に厚い人」として業界では定評がある。 |
2006.1.6 裄V武治全農会長は、1月4日の全農賀詞交換会での挨拶で、新しい全農に生まれ変わるための改革への決意を語った。 そのなかで裄V会長は、新生全農のめざすものとして「経営の効率化、高度な経営技術を取り入れて合理化をはかりながら、その果実を生産者、消費者に目に見える形で返していく」。 また、信用・共済事業の分離や株式会社の参入など系統組織を分断しようとする「大きな外圧がのしかかろうとしているが、日本農業の将来のためにも、国土発展のためにも一丸となって外圧を跳ね返していかなければならない」。「大きな還元力を生産者に還元し、日本農業に力をつけ、国民・消費者に信頼され、経済界を動かしていくような全農に生まれ変わっていきたい」などと、熱い思いを力強く語った。 |
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